私たちは、食事の時に「いただきます」、「ごちそうさま」と言います。あれは、だれに向かって言っているのでしょう。
私たちが食事をするということは、他のいのちをもらって自分のいのちをつないでいくということです。
しかし、私たちの食べ物になってくれた動物や植物は、決してそのために生まれてきたわけではないはずです。
合掌し「いただきます」、「ごちそうさま」と言う私たちの姿勢の中には、他の「いのち」をいただいて生きていかざるを得ないという現実があります。ですから、そこにはいただいたいのちに対する感謝と謝罪、また、畏敬(いけい)と謙譲の気持ちがこめられているのです。
さらには、「ごちそうさま」の「馳走(ちそう)」の由来は、「大切な人をもてなすために奔走(ほんそう)する」という意味です。
お米や野菜、肉や魚を私たちの食卓に届けるために、実に多くの人々が、「いのち」への痛みを感じながら、日々さまざまな苦労を重ねてくださっています。
「食べる」ことと同じように、私たちは生まれながらに、いつも「明るく楽しいもの」や、「目に見える豊かさ」を追い求めて生きています。それを手に入れることが人生の目的だと考える人もきっと多いことでしょう。
しかし、もしかすると、その「明るく楽しいもの」や「豊かさ」は、だれかの悲しみの上に成り立っているものかもしれない…そんなことを考えさせられました。
そして、その「悲しみ」に気づくことで、人間としてより深く生きていくことにつながるのではないでしょうか。
食前・食後のことば
真宗大谷派学校連合会
『生まれる 生きる 生かされる』
(東本願寺出版)より
法話 2026 06