仏教を開いた釈尊(しゃくそん / お釈迦さま)のお名前は、「ゴータマ・シッダールタ」であったと伝えられています。苗字の「ゴータマ」とは、インドの言葉で「最上の牛」という意味です。
牛は仏典のあちこちに登場します。釈尊は「牛はわれらの最上の友である」と言いました(『スッタニパータ』第296偈、中村元訳)。釈尊の生まれ育った地域では、牛は荷物を運ぶ労働力であり、牛乳やバターやヨーグルトを生み出す滋養の源であり、また牛糞は燃料にも壁材にもなります。人々はまさしく牛と共生していたのです。不愉快な目にあったときは「牛が虫を払って自分の尾をまもるように」自分の心をまもりなさい、とも言います(『ウダーナヴァルガ』第31章第40偈、中村元訳)。つきまとう羽虫を傷つけず尻尾でそっと払う、ネパールやインドの田園の穏やかな牛たちの姿が浮かびます―。
インド、東南アジア、そして日本を含む東アジアと、仏教が伝播(でんぱ)した地域のどこへ行っても、牛はありふれた動物です。仏教徒はその姿に、生命への慈(いつく)しみや、自己を探し求める仏の道を語り伝える釈尊を重ねました。そのようにして、仏の慈悲や智慧(ちえ ※)は、決してどこか遠くにあるものではなく、私たちの日常に寄り添っていることを実感したのでしょう。
- 智慧
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自分では気づくことのできない自らの姿を知らしめる仏のはたらき。
『ブッダの教え』
福田 琢氏
同朋大学学長
『仏教ゆかりの生きもの図鑑』
(東本願寺出版)より
教え 2026 10
「成果」ばかりが求められるこの社会。私たちは何を求めて生きているのでしょうか。「できること」「勝つこと」「儲けること」。そんな価値に追われて、それが手に入らない自分を「ダメな人間だ」「意味がない」と否定してしまう。いつの間にか、生きる意味を、自分自身の外側にばかり求めてしまっている私がいます。
仏教には、「自然(じねん)」という言葉があります。人為を加えずにおのずからそうなっていることを指す言葉です。
私たちは、自分に何かを付け加えること、人より優れていることばかりに価値を置いています。けれども、「自然」という言葉は、私の「いのち」は、本来そのままで尊いものだということを教えてくれているのだと思います。
生きるということの背景には様々な縁があります。そのメッセージが阿弥陀(あみだ)さまの本願(※)です。そのはたらきが自然という言葉で表現されているのです。
親鸞聖人は、『末燈鈔(まっとうしょう)』というお手紙のなかで、次のようにおっしゃっています。
「自然」というは、「自」はおのずからという。行者のはからいにあらず。しからしむということばなり。「然」というは、しからしむということば、行者のはからいにあらず。如来のちかいにてあるがゆえに。(『真宗聖典』737頁)
「自然」という言葉について、「行者のはからいにあらず」と繰り返されています。
「行者のはからい」とは、私たちの自力分別(じりきふんべつ)のこころです。私自身が、自分の思いで相手を決めつけ、自ら壁を作って生きているのです。けれども、その壁の向こうに、私と同じように悩み、苦しんでいる「人」がいます。「あなた」は一人ではありません。
自然という言葉は、そのことを私たちに教えてくれている言葉なのです。
- 本願
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全ての生きとし生けるものを救いたいと発された阿弥陀仏の願い
吉元 信暁(のぶあき)氏
九州大谷短期大学学長
仏教語 2026 10
「さわり(障り)」という言葉を辞書で調べると、「物事の障害、差支(さしつか)え、支障、妨げ」などと出てくる。私たちの日常生活の中では、自分にとって都合の悪い妨げとなる事柄は次々と起こってくる。それをいかに回避しようかと毎日悪戦苦闘しているのが私たちの日常ではないだろうか。そのような中でも最も避けたい「さわり」は、やはり「老・病・死」ということであろう。
雅楽の楽器で「笙(しょう)」という楽器がある。この楽器は17本の竹から出来ている。息を吹き入れたところに、銅の合金で作られたリードという部分がある。この笙という楽器は、そのリードを震わせながら奇麗な音を出すのだ。笙の奏者は言う。「このリードという“障り”がこの笙の音色を豊かに、素敵にしてくれるのです」と。
それは、老・病・死という人生において最も避けたい「さわり」が、むしろ人生を豊かにしてくださる大切な事柄なのではないかと問いかけられているようだ。多くの人は、病気で入院した時、これまでの人生を振り返り、改めて、今後の人生を丁寧に生きようと心するものではないだろうか。…「さわり」が転じて人生に「恵み」をもたらすこととなるようだ。そのように、私にとって都合の悪いあらゆる“さわり”は、新たな人生のスタートの機縁となったり、私を育ててくださる大切なご縁となるのではないだろうか。
真宗大谷派九州教区発行
『九州教区だより』2025年5月号より
法話 2026 10
若い人はSNSで日常的に短い言葉を発信することに慣れ親しんでいるので、短歌に対する敷居が低くなったのかなと思います。こんなに多くの人が日常的に自分の言葉を発信していた時代はないと思いますし、「五七五七七」のリズムのおもしろさが知られ、表現手段の一つの選択肢として短歌を考えてもらえることは、すごく嬉しいですね。
ただ、SNSなどでは「いいね」の数を競うような風潮もあって、「いいね」の数が多い方が偉いみたいな印象が持たれているようです。
『サラダ記念日』の「この味がいいね」から、「俵さんは「いいね」の元祖ですね」と言われることがありますが、これは、たった一つの「いいね」で人は幸せになれるという歌です。どうしても今の時代、数で括(くく)ってしまうところがあると思うんですけれど、一つ一つの「いいね」の向こうには、それぞれの人の表情があるということを、SNSを使う上では忘れないでいたい。たった一つの「いいね」で人は幸せになれるんだということは、30数年前に短歌を詠んだとき以上に、今大事になってきているのかなという感じがあります。
俵 万智(たわらまち)氏
歌人
月刊『同朋』2022年6月号
(東本願寺出版)より
著名人 2026 10