「成果」ばかりが求められるこの社会。私たちは何を求めて生きているのでしょうか。「できること」「勝つこと」「儲けること」。そんな価値に追われて、それが手に入らない自分を「ダメな人間だ」「意味がない」と否定してしまう。いつの間にか、生きる意味を、自分自身の外側にばかり求めてしまっている私がいます。
仏教には、「自然(じねん)」という言葉があります。人為を加えずにおのずからそうなっていることを指す言葉です。
私たちは、自分に何かを付け加えること、人より優れていることばかりに価値を置いています。けれども、「自然」という言葉は、私の「いのち」は、本来そのままで尊いものだということを教えてくれているのだと思います。
生きるということの背景には様々な縁があります。そのメッセージが阿弥陀(あみだ)さまの本願(※)です。そのはたらきが自然という言葉で表現されているのです。
親鸞聖人は、『末燈鈔(まっとうしょう)』というお手紙のなかで、次のようにおっしゃっています。
「自然」というは、「自」はおのずからという。行者のはからいにあらず。しからしむということばなり。「然」というは、しからしむということば、行者のはからいにあらず。如来のちかいにてあるがゆえに。(『真宗聖典』737頁)
「自然」という言葉について、「行者のはからいにあらず」と繰り返されています。
「行者のはからい」とは、私たちの自力分別(じりきふんべつ)のこころです。私自身が、自分の思いで相手を決めつけ、自ら壁を作って生きているのです。けれども、その壁の向こうに、私と同じように悩み、苦しんでいる「人」がいます。「あなた」は一人ではありません。
自然という言葉は、そのことを私たちに教えてくれている言葉なのです。
- 本願
- 全ての生きとし生けるものを救いたいと発された阿弥陀仏の願い
吉元 信暁(のぶあき)氏
九州大谷短期大学学長
仏教語 2026 10