暮らしの中の仏教語

言の葉カード

 「有頂天」。暮らしのなかでよく使われる言葉です。「喜びで舞い上がるさま。一つのことに夢中になり、うわの空になること」と辞書にあります。
 しかし本を正せばこれは仏教語なのです。深い意味や問いが隠されているに違いありません。仏さまのお心に尋ねてみましょう。
 まず、有頂天の「有」は迷える存在を意味します。「頂」は頂点、頂上、絶頂です。つぎに「天」とは神のことで、その世界を天界と言い、そこに生きる存在を天人と言います。
 天人は欲望を離れてさらにより高次の精神(無色界 むしっかい)に生きていき、その精神世界の最高、世界の絶頂を有頂の天界、有頂天と言うのです。したがって、有頂天とは自分の思いが思いどおりに満たされてしまっているあり方、何も言うことのない世界です。今の世のなか、誰も彼も浮かれながら、ひたすらその世界を目指しています。
 有頂天は自らの世界を最高にすばらしい世界だと思い込み、疑ったこともないのです。だから、有頂天は有頂天であることに気づかない、それほど有頂天であるということになります。
 自らに酔う有頂天は、自分自身で自分自身に気づくことはありません。気づくのはただ一つ、現実からの呼び覚ましによるのです。それは浮かれた天人にとっては思いもしていなかった現実の苦悩なのです。苦悩に呼び覚まされてみて初めて有頂天は自らの夢の限界に気づき、天界から人間界に生まれ変わります。
 人間に生まれることは苦悩を生きることです。しかし苦悩あればこそ、それをご縁にしてさらに人間として問わねばならない問いにも気づかされてきます。そこから思ってもみないお育てをいただき、生きることの悲しみの深さにも出会い、新たなるつながりを発見します。わが思いが満たされなくても、共に生きるという深い感動をいただくことになるのです。
 「あなたは有頂天ではありませんか」の呼びかけは、「あなたはどこに身を置いていますか」の問いかけであります。わが夢以上の、わが思いが満たされる以上の感動のありかを尋ねたいものです。

大江 憲成氏
九州大谷短期大学名誉学長

『暮らしのなかの仏教語』(東本願寺出版)より
仏教語 2019 04