悲しいかな、人間は人と比べて自分を自慢するばかりでなく、人と比べて自分を劣っていると考え、卑下(ひげ)する生き物です。人との比較だけでなく、過去の自分と比べて喜んだり嘆(なげ)いたり、自分の未来をいろいろ思い描いて、期待したり、不安をおぼえたりもします。私たちの社会には、人に上下や優劣をつけるものさし、価値観が溢れていますから、どうしてもその価値基準のなかに相対的に自分を位置づけ、他者と比べてしまうのです。私たちの苦悩は、こうした比較から多く生まれてきます。この比較するこころが実は煩悩(ぼんのう)なのです。比較して、比較して、自分を、他者を、ありのままに見ることができない。仏教からすると、私たちが苦しむのは、煩悩によって自分の真実の姿、<この上なく尊い存在>であることを見失っているからなのです。仏道とは、この煩悩によって見失う存在の意義を見つめていくことであると思います。
今後、AI(人工知能)が発展していけば私たちの生活のすみずみまでAIに支えられたものになるでしょう。その生活がどのようなものであるのか想像がつきません。しかし、その生活の中で自分自身の存在の意義を見失っていくのならば、便利で快適であったとしても、決して生きやすくなるのではないのでしょう。社会は常に変化し、人間の生活も変わっていきます。そのなかで、一人ひとりの存在の意義を見つめつづけることが、大切というよりも、生きていく上で不可欠のことであると思います。
鶴見 晃氏
同朋大学教授
『仏教のミカタ 仏教から現代を考える31のテーマ』
(東本願寺出版)より
法話 2026 11