僧侶の法話

言の葉カード

 仏さまというのは、「目覚めた人」という意味です。何に目覚めたかといいますと、法に目が覚めた、もっと正確に言えば、法に眼を開かれたということです。その開かれた法とは、「色は匂へど散りぬるを」という歌にもあるように、「諸行無常(しょぎょうむじょう)」ということです。
 いくらきれいに花が咲いていても、いつまでも咲いていることはない。必ず散る時がある。それは花だけでなく、どんなものも無常である、「有為(うい)の奥山今日越えて、浅き夢見し酔いもせず」と続いていますが、我々は幸せの夢を見ているわけです。「思うようになれたらいい」「都合よく生きることができたらいい」という夢を見ているのです。都合どおりにいかない人生において、それを思いどおりにしたいと生きていることが「浅き夢」であり、この事実に眼を覚ました方を覚者(かくしゃ)というのです。亡くなった人は、その事実を示してくれるのです。

 人間は都合のよいことが好きです。それでこちらがお祈りしたり、お願いしたりすると、都合よくしてくださるという存在にひかれるものです。「鬼は外、福は内」というのも、それなのです。都合の悪いことはどこかに行って、福だけが舞い込んで来るようにと、何やら私たちにそういう事をしてくださるお方がいらっしゃると、それを信仰する。
 仏さまの教えは、その夢から覚める教えです。「思うようになる」という夢、「何とかすれば都合よくなるだろう」という夢、そういった夢から覚めなければ、この人生は渡れないぞ、と、いろんな不都合な事を乗り越えて亡くなられた人が示してくださるのです。それは、最初に申しました「諸行無常」という仏さまが目覚められた法です。先立った人をご縁として、法に遇(あ)わせていただくという意味がそこにあるのです。

いろは歌
片山 寛隆氏
真宗大谷派 相願寺住職(三重県)

『大きい字の法話集2』
(東本願寺出版)より
法話 2026 05