仕事が終われば上司の愚痴を肴(さかな)に杯を酌み交わす、なんていう人も多いかもしれません。できるだけ言わないようにと心がけても、ついつい口をついて出てくるのが愚痴ですね。これまで愚痴を言ったことはありません、という人なんていないのではないでしょうか。
実はこの「愚痴」という言葉は、「貪欲(とんよく)」、「瞋恚(しんに)」とならんで、私たちの煩悩(ぼんのう)のなかでももっとも根本的なものをあらわす仏教語なのです。
「貪欲」とは、必要以上のものをむさぼり求めて際限がないこと。「瞋恚」は炎のように燃え上がる怒りや憎しみです。これは、人のことだと目に見えてわかりやすいですね。ほんとうは自分のことなんですが…。
「愚痴」は、「無明(むみょう)」とも表現され、仏の教えを知らず、仏の智慧(ちえ ※)に暗いことです。「明」は仏の教え、仏の智慧をあらわします。「明(教え・智慧)」が無いから「無明」です。また、「明」が無いので、「無明」は「闇」という言葉でも表現されます。
この「闇(無明)」について、宮城 顗(みやぎ しずか ※)先生が次のように教えてくださっています。
ほんとうのいちばん深い闇は、わかっているという思いです。なんでもわかったことにしてしまっている。わかっているつもりでいる。わかったつもりでいるということがいちばんの闇なのです。
(『正信念仏偈講義』第一巻 70頁)
「明(教え・智慧)が無い」ということは、何かを知らないということではなく、わかっていると思い込み、聞く耳を持たないということです。それが私たちの姿なのです。
愚痴をこぼすことしか知らない私たちは、だからこそ「教えを聞く」(その場に身を置く)ことによって、そういう自分に気づかされていく必要があるのです。
- 智慧
- 自分では気づくことのできない自らの姿を知らしめる仏のはたらき。
- 宮城 顗(1931~2008)
- 真宗大谷派の僧侶。真宗大谷派本福寺前住職。九州大谷短期大学名誉教授。
吉元 信暁(のぶあき)氏
九州大谷短期大学学長
仏教語 2026 05