暮らしの中の仏教語

言の葉カード

 仏教の言葉である「憶念(おくねん)」という言葉、あまり聞き馴染みがないかもしれませんが、漢字を分解してみると、とても深いメッセージが隠されています。
 まず「念」という字。これは「今」と「心」から成り立っています。「今」は「含」の意味で、「心にしっかりと含んで忘れない」という意味があります。
 次に「憶」の字です。部首の「りっしんべん」は心を表し、つくりの「意」は「音」と「心」に分けられます。この「音」は、実はまだ言葉になる前の、心の奥底にある「声なき思い」のことです。その「言葉にならない大切な思い」を、自分の内側でじっくりと感じ、忘れないこと。また、かつて受け取った大切な記憶をふとした瞬間に思い出すこと。それが「憶」という字が持つ意味です。
 この「言葉にならない大切な思い」を、阿弥陀(あみだ)さまの「本願(あなたを見捨てないという願い)」として受け取ってみてはどうでしょうか。
 「あなたを見捨てない」という阿弥陀さまの願いが、私の中にしっかり刻まれていて、どんな時でもふっと思い出される。
 親鸞聖人は、『唯信鈔文意(ゆいしんしょうもんい)』の中でこう教えてくださっています。

憶念というのは、信心をいただいた人が、もう何も疑うことなく、阿弥陀さまの願いをいつも絶え間なく思い出し続けることなのです。
(『真宗聖典 第二版』676頁・取意)


 私たちは日々、いろいろなことに振り回されて、つい大切なことを忘れがちです。けれど、お念仏を称(とな)える暮らしの中で、「あぁ、そうだった」と阿弥陀さまの願いに立ち返ることができる。
 金子大榮師(かねこだいえい ※)は、次のように述べられます。

しかれば憶念の心とは記憶していて忘れないことに違いありません。しかるに記憶といえば私が覚えているようでありますがそうではありません。記憶が私を支えているのではありませんか。
(『和讃日日 続』175頁)


 「自分が覚えている」というよりは、「誰かの願いや記憶の中に、今の自分が生かされている」。阿弥陀さまの前で手を合わせ、お念仏を称えることを通して、私たちはその大きな支えに気づかされるのです。
 「憶念」とは、単なる暗記ではなく、私を包み込んでくれている大きな願いを、今この瞬間に感じ直すこと。それが「憶念」という言葉が私たちに教えてくれていることではないでしょうか。

金子大榮
1881~1976。真宗大谷派僧侶

吉元 信暁(のぶあき)氏
九州大谷短期大学学長

仏教語 2026 07