真宗大谷派は以前、「今、いのちがあなたを生きている」というテーマを掲げていましたが、僕はあれをすごくいい言葉だと思っています。それはなぜかをお話ししましょう。
僕はインドのヒンディー語を勉強したんですが、ヒンディー語には「主格(しゅかく)」と「与格(よかく)」というふたつの構文があります。まず主格というのは「私は今日、電車でここに来ました」といったように「私は」とか「私が」で話し始める構文です。それに対して与格というのは、「私に」で話し始める構文なんですね。
文法書には、「私の行為や状態が、私の意思の外部によって規定されている場合には与格を使う」と書いてあります。たとえば「今日、ちょっとかぜを引いちゃって、熱が出ちゃった」というのは与格です。意思を持って熱を出そうといっても、無理ですよね。意思の外部によって自分の状態が規定されているからなんですね。あるいは「私は皆さんに会えてうれしいです」といった感情表現の場合、「私に皆さんに会った喜びがやってきて、とどまっている」みたいな言い方をするわけです。
では、与格というのがなぜインドの言語で重要な位置を占めているのか。それはやっぱり、人間は全て意思によって自分の行為をコントロールしているんじゃなくて、重要なものは外からやってくるという感覚が強いからだと思います。では、それはどこからやってくるのか。これはインド人にとっては自明のことで、「神」からやってくるわけです。そして、この与格的なもののほうが、人間にとって本質的だとおそらくインド人は思っているんですね。つまり、人間の本質は主格じゃなくて与格に現れるというわけです。
僕は、この与格という考え方がすごく重要だと思います。近代的な人間は何でも「私が、私が」と言って主格で押し通そうとする。それに対して、与格のほうは、自分の意思を超えて外からやってくるものを重視するわけですね。大谷派のテーマで言えば、自分より大きな「いのち」が今あなたを生きている。そのことが他力という自分の外からやってくる力につながっていく。 そうした思想は非常に重要で、僕たちはそれを取り戻さないといけないと思います。
中島 岳志氏
政治学者
月刊『同朋』2026年1月号
(東本願寺出版)より
著名人 2026 09