暮らしの中の仏教語

言の葉カード

 「談合」といえば、現代においては、「事業者が競争を不当に避ける不正行為」というネガティブな専門用語として定着しています。けれども、この言葉の元々の意味は、文字通り、「談(かたり)」「合(あう)」、つまり「顔を合わせて話し合う」ことです。
 浄土真宗中興(ちゅうこう)の祖とされる蓮如上人(れんにょしょうにん ※)は、『御文』(おふみ)というお手紙のなかで、仏法は誰かと一緒にたずねなさいということを次のようにおっしゃっています。

 仏法が何なのかということを、障子や垣根ごしに聞きかじって、たとえ心の内で「そういうことか」と思えたとしても、そこからそのおこころを誰かと一緒によくよく尋ねて、ご信心をいただきましょう。そのまま自分勝手な聞き方にまかせていては、必ず間違えるものです。最近では、こういった聞き方で終わってしまう人が本当に多いのですよ。(『真宗聖典 第二版』990頁・取意)

 仏法は、「聞く」ことが大切だと言われますが、私たちは「自分勝手な聞き方」をして「必ず間違える」というのです。
 蓮如上人は、ほかのところでも、私たちを、「意巧(いぎょう)にきく物なり」「得手に法をきくなり」と、「こころ巧みに」「自分勝手に」聞くものであるとおっしゃいます。
 そして、だからこそ、「能(よ)く能く談合すべき」「あい談合すべき」と繰り返されるのです。
 現代においては、「談合」ではなく「座談」という言葉が使われますが、この座談の場も、少なくなってきているように感じています。
 蓮如上人がいまから500年以上前に「最近では、こういった聞き方で終わってしまう人が本当に多いのですよ」と歎(なげ)いておられる、その歎きを、改めて、いまこそ、聞き直すべきではないでしょうか。
 一方的に講師の法話を聞いて終わるのではなく、聞いた者同士が、それぞれの受け止めを語り合う(聞き合う)場を作ることを大事にしていきたいと思います。

蓮如(1415~1499)
室町時代の浄土真宗の僧侶

吉元 信暁(のぶあき)氏
九州大谷短期大学学長

仏教語 2026 09