仏教の教えについて

言の葉カード

 わたし宛に届けられた贈りものは、それがなんであれ、わたしが生きていることを祝福してくれます。その贈り主は、わたしが今ここにいることを必要としていると、わたし宛の贈りもので伝えてくれているからです。あなた宛の贈りものには必ず「あなたが生きている今日は素晴らしい」と言うメッセージが添えてあるのです。
 しかし、その贈りものは、通販で購入した商品のようなお望みの品物ではありません。カタログから自分で選んだものが宅急便で届くのではありません。贈り主が選んで、そしてわたしを宛て先として贈ってくださるものなのです。
 わたしたちのいのちもそのような贈りものです。その大きさや価値を計って他人の命と比べたりすることのできないいのちは、わたしたちそれぞれに贈られたかけがえのない贈りものです。親鸞聖人はそのいのちを「無量寿(むりょうじゅ)」という漢語で表現しました。お釈迦さまが生きておられた頃のインドの言葉で言えば「アミダ」。このいのちの贈り主を「アミダブツ」。そして、この贈りものをありがたくいただきますという言葉が「ナムアミダブツ」なのです。
 親鸞聖人に「弥陀(みだ)の五劫(ごこう ※)思惟(しゆい)の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」(『歎異抄 たんにしょう』)というお言葉があります。「アミダさまが五劫という気が遠くなるような長い間考えて選んでくださった願いは、よくよく考えてみれば、この親鸞一人に宛てられた贈りものだった」ということでしょう。親鸞聖人はアミダさまから、「本願(ほんがん ※)」というご自分宛の贈りものを受け取ったのです。

五劫
「劫」は時の単位の一つ。計り知れないほど長い時間という意味。
本願
全ての生きとし生けるものを救いたいと発された阿弥陀仏の願い

『歎異抄(たんにしょう)』唯円

門脇 健氏
大谷大学教授
「サンガ」№136より
教え 2019 02