僧侶の法話

言の葉カード

 或(あ)るお寺の掲示板に掲げられていた法語です。何か自分に対しての厳しい問いかけに聞こえました。
 人生を問題にしているなら、お金はあった方がよいし、健康にこしたこともありません。しかし、人生そのものが問題となったならば、どのような状況になろうとも、この人生そのものを押し頂けなければ本当の満足とはいえないのでありましょう。
 2月3日は節分です。多くの人たちが言霊(ことだま)さながらに「鬼は外~、福は内~」と言って豆を撒(ま)きます。言葉にして叶うならば苦労はしませんが、人生を問題にしている時の願いなのでありましょう。これが季節の催事に留まらず、日頃の真摯な心として私たちを支配しているのですから厄介であります。
 鬼とは自分にとって都合の悪いこと、逆に福とは都合のよいことでありましょう。そもそも私たちの思考は、二元論、二項対立が過ぎるのではないでしょうか。善悪、優劣、勝負、損得、人生を〇と×で判定しているようであります。思い通りに叶う人生が〇で、叶わないのが×とは余りにも大衆的気分に囚(とら)われてはいないでしょうか。「それが世間の価値観なのです」と反論されそうですが、そのような空気感を産み出し流されるところに、内なる鬼、豆を撒く鬼が潜んでいると思うのです。

金石 潤導氏
真宗大谷派 開正寺住職(北海道)

「南御堂」新聞2019年2月号(難波別院)より
法話 2021 02