僧意工夫

迷走しながら思いを綴る 
お坊さんのエッセイ

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 とある日、電話で話していた老僧の声が大きくなる。「あぁまたか…」と嫌な予感。しばらくして、「どちらさんからのお電話でしたか?」と尋ねたら、「今日はインターネット回線がナントカナントカになるという会社からだった」という老僧。「ナントカナントカ」が重要なんだけどとも思ったが、ある程度の想像がついたので、私もそれ以上は尋ねなかった———。


 お寺にも「営業電話」がよくかかってきます。「電話やFAXなどの通信機器」から「保険関係」、ここ数年は「ネットの機器や回線」から「webの広告」まで、あらゆる業種から電話があります。他のお寺のことはわかりませんが、1日に3~4件かかってくることもしばしばです。(都心部ではなく田舎部の寺なのに…)

 誤解のないように申しあげると、営業活動を否定したり非難するつもりは全くありませんし、ご縁を結ばせていただくこともあります。しかし最近は、特に電話営業の場合、県外のさらに遠い都心の会社からの電話が多いのです。
 「ネット上で契約できますので」「モノは宅配しますので」「やりとりはメールでしますので」。令和時代とはいえ、横文字に疎く、訪問による契約を結んできた老僧の気持ちを汲めば、声が大きくなるのもわかります。悪意なく先日の例をあげると、「なんで今までより安くなるのに聞く耳をもってくださらないんですか?」と告げられたそう。


 新型コロナの感染状況が収まっているためか、経済再生、経済活動の活性化など「経済」に関連する言葉を最近はよく耳にします。
 「経済」の元の言葉は「経世済民(世の中をよく治〈経/おさ〉めて人々を苦しみから救〈済〉うこと)」。つまり、エコノミーなる活動や感覚が先にくるのではなく、それぞれの安心した生活をぬきにしない「経済」活動が本来的には願われるべきことです。

 私たちの暮らしに関わることなので甘いことを言うなと叱責されそうですが、仏教の精神を背景に商売を営まれた、かつての近江商人の「三方よし」の言葉が思い起こされてなりません。
 立場が変われば、対応がかわってしまうのもまた事実。「自分も相手も世間もよし」とは一体どういうことなのか、常に尋ねることを大切にしたいものです。

 フリーダイアルからの着信は、当面、私の担当になりそうです。

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