お盆の風習というのは、例えば送り火を焚(た)いたり、向かい火を焚いたり、各地で様々だと思います。亡くなられた人の魂が、あの世というところにいると考えられている。そして、お盆の間だけこの世の実家に呼び寄せてもてなしをし、お盆の3日間を過ぎるとまたあの世にお引き取り願う。皆さんもそういう思いをお持ちではないでしょうか。
高村光太郎さんの詩に「亡き人に」というものがあります。妻を亡くし、自宅のアトリエに戻られてその翌朝に書かれた詩です。その最後に「私はあなたの愛に値しないと思ふけれど あなたの愛は一切を無視して私をつつむ」と述べられています。これはいったい、どのような意味なのでしょうか。それは私たちが、「亡くなった人をどう見ているのか」という問題があるんだろうと思います。
法事が終わった時「やれやれ法事が終わった」と思いませんでしょうか。「はぁ、やっと終わった。さっぱりした」と。そういう言葉をよく耳にします。手間のかかるもの、厄介なものというように思っているという事ではないでしょうか。
私たちは「大事に法事をお勤(つと)めする」と言いますが、手間のかかるもの、厄介なもの、というように思っているまま行ってしまうならば、私はあなたの愛に値しないと思わざるをえないのではないでしょうか。そういう自分の在り方に気が付いて、恥ずかしいなと思う時に、亡くなられた人に出遇(あ)えるのではないでしょうか。
本間 幸惠氏
真宗大谷派 蓮心寺(青森県)
真宗会館「お盆法要」より
法話 2018 08