仏教では、生きとし生けるものは、輪廻流転(りんねるてん)、すなわち生と死を繰り返して止まない迷いの境涯(きょうがい)に置かれているとされています。しかし、釈尊(しゃくそん ※)は世に出て、そうした迷いの世界を超えた、完全な安らぎの境地の存在と、そこに至る道とを示されました。そうした境地が、ここでは「不死の境地」と呼ばれているのです。それは自と他、苦と楽、善と悪といった相対性を超えた世界です。つまり逆説的なことですが、自分を含めた現世的なものを完全に超越した、絶対的世界(あるいは存在)を理解し、それにつながることによって、現世での自分の生もはじめて意味をもつことをこの言葉は示しています。
私たちにとって、毎日を一生懸命に生きることはもちろん大切です。しかし仏教が強調するように、この世のすべては移ろい、やがて滅びます。それにもかかわらず、その幻のような現世の生が意味あるものとなり得るのは、実は現世を超えた不滅のものが、いままさに私たちを照らしているからに他なりません。現代の我々はつい目の前のことばかりに気を取られがちですが、一方で、生きる意味を見失い悩んでいる人も少なくありません。日常生活のなかで、時には忙しい手を止めて、私たちの生を意味づけてくれるものに心を傾けることが大切なのではないでしょうか。
- 釈尊
- お釈迦さま
『ダンマパダ』(原始仏典)
大谷大学HP「きょうのことば」(2012年7月)より
教え 2018 04