僧侶の法話

言の葉カード

 あなたは、「今、生きていますか?」と問われたとしたら、どのように答えますか? おそらく「今、生きていますよ」、とお答えになるのではないでしようか。同時に、「何でそんな当たり前のことを聞くのか?」と疑問をもったり、逆にそんなことを聞いてきた相手を訝(いぶか)しんだりするのではないでしょうか。しかしこの場合、どのような意味で私たちは、「生きている」と言っているのでしょうか。息をしているからでしょうか。心臓が動いているからでしようか。もしかしたら、そんなことすらも考えないほど当たり前のこと、大前提のこととして「今、生きている」と言っているのではないでしょうか。
 「今、いのちがあなたを生きている」という言葉には、そのような、私たちが当然だと思っていることに対して、もう一度その意味について、考えてみたり、問い直してみる必要があるのではないか、というメッセージが込められているのです。

 以前、新聞のあるコーナーに、次のような投稿が掲載されていました。投稿者のお父さん、お母さんが七十歳を過ぎた頃、二人でお葬式用の写真を撮りに行くと、その帰りがけに、写真屋さんから「お急ぎですか?」と言われてしまったという内容です。
 私は、この文を読んでこんな情景を想像しました。お父さんとお母さんは、非常に仲が良く、いつも二人連れだって出かけていたのでしょう。その日も二人で、しかもおしゃれをして写真屋さんに出かけて行ったのに、帰ってきた時にはなんだかしょんぼりしている。どうしたのか聞いてみると、「自分たちが元気なうちに」と思い立って葬儀用の写真を撮りに出かけたのに、写真を撮り終えた後に、写真屋さんから「この写真はお急ぎですか?」と聞かれたことがショックだった、というものです。
 これは実に現代を生きる私たちの生活を象徴している話だと思いました。私たちは、誰しもが、よりよく幸せに生きたいと願って、日々生活をしています。自分の思いどおりに、健康で充実した人生を送ることが大切だと思っています。その中には、当然家族に迷惑をかけたくない、歳を取ってくれば、葬儀の準備も前もってしておくことも含まれるのでしよう。葬儀で使う遺影までも、後で周りの人があわてないですむように、しかも元気な時の写真を準備しておく。

 私たちは誰でも、自分がいつかは死をむかえることは知っています。知っているからこそ、逆に、今は死んでいない、生きているのだと言えるのでしょう。しかし、それはいつかは死ぬことを知っているだけで、今すぐ死ぬかもしれないということをいつも思っているわけではないのです。ですから、「お急ぎですか?」という言葉は、死を突きつけてくると同時に、死を漠然と遠くにしか捉(とら)えていなかった自分の生活に波紋が広がったのです。
 当然のように今生きていると思っている私たちの人生は、実は、準備のために今現在の自分を見つめることを先送りにしている人生ではありませんか、という親鸞聖人からの問いかけが、「今、いのちがあなたを生きている」という言葉に込められているのです。

真宗大谷派 宗祖親鸞聖人
750回御遠忌テーマ

藤原 正寿氏
真宗大谷派 浄秀寺住職(石川県)

『大きい字の法話集2』
(東本願寺出版)より
法話 2026 01