「成仏(じょうぶつ)」という言葉を、わたしたちはどういう意味で使っているでしょうか。
「あいつもとうとう成仏したか」というと「あの人もとうとう亡くなったか」ということでしょう。『広辞苑』を引くと、「成仏」は「(死ぬと直ちに仏になると考えられたことから)死ぬこと」とあります。
けれども、「成仏」という言葉が直接指し示しているのは、「死ぬこと」ではなく「仏になる」ことです。「成仏」という言葉そのものが、「仏に成る」なのですから。
けれども「仏に成る」と言われてもどういうことかよく分かりませんから、私たちの中では「死ぬこと」という意味にしかならないのでしょう。
でも、だからこそ、いまいちど「仏に成る」ことの意味を考えてみる必要があると思うのです。
Aくん:「元カノ、もう別の人と付き合ってるらしいよ」
Bくん:「あー、それ聞いたら完全に成仏できるわ…(笑)」
「成仏」という言葉は、いまの若者の間では、冗談めかして「諦める」、「満足して終わる」、「気が済む」などの軽い意味で使われているようです。
けれども、「諦める」は本来「あきらかにする」ということです。また、私たちの人生が「満足して終わる」とはどういうことか。本当の意味で「気が済む」とはどういうことなのか。そんな問いをもってこの「成仏」という言葉を考えてみてはどうでしょうか。
近年は葬儀や法事にお参りする若者も減っているようですが、私に先立って成仏された方こそ、本当の意味での「成仏」という言葉に触れる縁を私たちに開いてくれているのではないかと思います。
吉元 信暁(のぶあき)氏
九州大谷短期大学学長
仏教語 2026 01