私たちの住む町は観光地で、自然がほとんどありません。観光に来る人は、きれいな建物や、おいしいご飯のお店を探して、みんなスマートフォンの画面や上の方ばかり見ています。でも、子どもたちは違います。地面のアリの行列、塀の隙間から顔を出したナメクジ。公園の切りかぶにきのこが生えていただけで、もう大さわぎ。大人には見えない、いろんな不思議を見つけてしまうのです。
きっとお釈迦さまも、生き物が大好きだったのだと思います。お釈迦さまがまだ小さい頃、農耕祭を見学していたときのことです。畑の土から、ミミズのような小さな虫が出たり入ったりしているところを見つけました。「かわいいなぁ」と思って見ていたら、空から小鳥が飛んできて、その虫をくわえて飛び去ってしまったのです。「あっ」と思って空を見上げたそのとき、今度はその小鳥が、大きな鷹に捕まって連れ去られてしまったのでした。その光景を見て、お釈迦さまはとてもショックを受けられたそうです。そして「生き物は互いに、食べ合わなければいけないのか…」と、物思いにふけって、何日も寝込んでしまわれました。
でもそんな生き物たちに対する慈しみの心が、その後のお釈迦さまの教えにはたくさん散りばめられています。だからお釈迦さまが亡くなった場面を描いた「涅槃図(ねはんず)」という絵には、たくさんの動物たちがあつまって、お釈迦さまの死を悲しんでいる様子が描かれているのです。
お釈迦さまの教えは「縁起(えんぎ)」や「無常(むじょう)」など、いくつもの難しそうな言葉で表現されます。でも、そういった言葉を通して、私たちに本当に伝えたかったのは「いま・ここに〈生きていること〉の不思議」ということだったのではないでしょうか。
「なんだ、当たり前じゃないか」と思うかもしれませんね。そう、本当に大切なことというのは、実は私たちが「当たり前」だと思っていることの中にあるのかもしれません。ご飯を食べること、友だちと遊ぶこと、健康に暮らしていること。すべて「当たり前」だと思っている私たちに、お釈迦さまは、「それは掛け替えのない、奇跡のような一瞬一瞬なのだよ」と呼びかけてくださっています。そして、それに気付けることは、どんな勉強よりも大切で、きっと何より嬉(うれ)しいこと。だから、「当たり前」の反対は、「ありがとう(有り難う)」なんです。
いつかみなさんも、大人になるにつれて、日常が「当たり前」ばかりになってしまう日がくるかもしれません。同じような毎日ばかりが続き、世界が灰色に見えてしまうときがあるかもしれません。でもそんなときには、思い出してほしいのです。「当たり前じゃないよ」と、いつでも呼びかけてくれている声があることを。驚きでいっぱいだった、あの帰り道には、大きなランドセルにも入りきらない、たくさんの不思議で満ちあふれていたことを―。
花園 一実氏
真宗大谷派 圓照寺住職(東京都)
『マンガで味わうブッダの教え 帰り道で話そうよ』
(東本願寺出版)より
法話 2026 02