暮らしの中の仏教語

言の葉カード

 「成就」という言葉はどういう意味で使われているでしょうか。
 「マイホームを建てて長年の夢がようやく成就しました」というように、「願いがかなう」とか「目的が達成される」という意味で使う言葉ですよね。しかもそれは、「私の願い」、「私たちの願い」です。
 けれども、お経に出てくる「成就」の主語は、仏さまであり菩薩(ぼさつ)さまです。極楽浄土について説かれる『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)』というお経は、法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ ※)があらゆる人を救うという願いを建て、その願いを成就して極楽浄土を建立して阿弥陀仏(あみだぶつ)となったという願成就の物語が語られています。
 この物語は、私たちにとってどういう意味を持っているのでしょうか。

 法蔵菩薩があらゆる人を救うという願いを成就したというのなら、私たちは皆救われているはずです。しかし、社会を見てもこの私自身を振り返ってもそういう実感を持つことはできません。このことをどう考えれば良いのでしょうか。
 私たちは、「成就」というと、何かものごとが完成してしまったというように考えます。けれども、法蔵菩薩の願いは、完成してしまったのではなく完成し続けているのだと、昔先生に教えていただきました。完成し続けているというのは、終わりがないということでしょう。願いが終わりのない願いになった、これを「成就」というのです。
 私たち一人ひとりの歩み、一人ひとりの生き方が、法蔵菩薩の終わりのない願いを成就していく歩みになる。まさにこの私は法蔵菩薩の深い願いをかけられた一人だということです。そのことを、私たちはお経を通して(お経が読誦(どくじゅ)される場に身を置くことを通して)聞かせていただくのではないでしょうか。

法蔵菩薩
『仏説無量寿経』というお経に説かれる物語に描かれる菩薩。仏の教えに出遇ったことに喜び、自らも仏となって生きとし生けるものを救いたいと願い、国王の地位を捨てて仏道を歩み、後に阿弥陀仏となった修行者。

吉元 信暁(のぶあき)氏
九州大谷短期大学学長

仏教語 2026 02