仏教の教えについて

言の葉カード

 わが子に先立たれたおばあさんの悲しみと、連れ合いに死なれた夫や妻の悲しみ、そして父親を失った息子の悲しみと、まだ嫁に行かない娘が父親を失った悲しみ。どれもみな悲しいという点では同じだけれども、何がどう悲しいかと言うと、その心の奥深くの襞(ひだ)にまでわけ入っていくと、一人一人違うでしょう。決して人にはわかってもらえないものを持っているではないですか。
 私はいつも言うのですが、コップの水ですね。人に愚痴をこぼすとすっきりすると言いますよね。愚痴もやたらにこぼすとはた迷惑だから、この人なら聞いてもらえるという人に、安心してこぼすのです。そうするとすっきりする。
 ところが、こぼすとすっきりするけれども、それでもいつもコップの中に水が残っているでしょう。言うに言えないものがある。『男はつらいよ』の寅さんではないけれども、「それを言っちゃあおしまいよ」というのがあるのです。決して人には言えないようなことを、みんな抱えています。
 これは自分でもどうしてみようもない。そういうものをいつも抱え、そういうものをいつも引きずって、お互いに生きているというのが、この世の事実ではないでしょうか。
 そういうときに、その心を本当に悲しみたもうのが仏さまです。この私の中に飛び込んできて、本当に悲しいときに私と共に悲しんでくださる。私の喜ぶときに共に喜んでくださる。これを「安危共同(あんきぐどう)」と言うのです。「衆生(しゅじょう ※)苦悩、我苦悩、衆生安楽、我安楽」〈衆生の苦悩はわが苦悩、衆生の安楽はわが安楽〉とも申されます。
 私の身になって喜び、私の身になって苦悩してくださるという、仏さまの大悲心のあらわれがお念仏であり、お経であります。

衆生
生きとし生けるもの

「唯識(ゆいしき)」の教え
近田 昭夫氏
真宗大谷派 顯真寺前住職(東京都)

『仏さまはどこにおられますか?』
(東本願寺出版)より
教え 2026 02