2026年如月(2月)の言葉

仏教の教えについて

言の葉カード

 わが子に先立たれたおばあさんの悲しみと、連れ合いに死なれた夫や妻の悲しみ、そして父親を失った息子の悲しみと、まだ嫁に行かない娘が父親を失った悲しみ。どれもみな悲しいという点では同じだけれども、何がどう悲しいかと言うと、その心の奥深くの襞(ひだ)にまでわけ入っていくと、一人一人違うでしょう。決して人にはわかってもらえないものを持っているではないですか。
 私はいつも言うのですが、コップの水ですね。人に愚痴をこぼすとすっきりすると言いますよね。愚痴もやたらにこぼすとはた迷惑だから、この人なら聞いてもらえるという人に、安心してこぼすのです。そうするとすっきりする。
 ところが、こぼすとすっきりするけれども、それでもいつもコップの中に水が残っているでしょう。言うに言えないものがある。『男はつらいよ』の寅さんではないけれども、「それを言っちゃあおしまいよ」というのがあるのです。決して人には言えないようなことを、みんな抱えています。
 これは自分でもどうしてみようもない。そういうものをいつも抱え、そういうものをいつも引きずって、お互いに生きているというのが、この世の事実ではないでしょうか。
 そういうときに、その心を本当に悲しみたもうのが仏さまです。この私の中に飛び込んできて、本当に悲しいときに私と共に悲しんでくださる。私の喜ぶときに共に喜んでくださる。これを「安危共同(あんきぐどう)」と言うのです。「衆生(しゅじょう ※)苦悩、我苦悩、衆生安楽、我安楽」〈衆生の苦悩はわが苦悩、衆生の安楽はわが安楽〉とも申されます。
 私の身になって喜び、私の身になって苦悩してくださるという、仏さまの大悲心のあらわれがお念仏であり、お経であります。

衆生
生きとし生けるもの

「唯識(ゆいしき)」の教え
近田 昭夫氏
真宗大谷派 顯真寺前住職(東京都)

『仏さまはどこにおられますか?』
(東本願寺出版)より
教え 2026 02

暮らしの中の仏教語

言の葉カード

 「成就」という言葉はどういう意味で使われているでしょうか。
 「マイホームを建てて長年の夢がようやく成就しました」というように、「願いがかなう」とか「目的が達成される」という意味で使う言葉ですよね。しかもそれは、「私の願い」、「私たちの願い」です。
 けれども、お経に出てくる「成就」の主語は、仏さまであり菩薩(ぼさつ)さまです。極楽浄土について説かれる『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)』というお経は、法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ ※)があらゆる人を救うという願いを建て、その願いを成就して極楽浄土を建立して阿弥陀仏(あみだぶつ)となったという願成就の物語が語られています。
 この物語は、私たちにとってどういう意味を持っているのでしょうか。

 法蔵菩薩があらゆる人を救うという願いを成就したというのなら、私たちは皆救われているはずです。しかし、社会を見てもこの私自身を振り返ってもそういう実感を持つことはできません。このことをどう考えれば良いのでしょうか。
 私たちは、「成就」というと、何かものごとが完成してしまったというように考えます。けれども、法蔵菩薩の願いは、完成してしまったのではなく完成し続けているのだと、昔先生に教えていただきました。完成し続けているというのは、終わりがないということでしょう。願いが終わりのない願いになった、これを「成就」というのです。
 私たち一人ひとりの歩み、一人ひとりの生き方が、法蔵菩薩の終わりのない願いを成就していく歩みになる。まさにこの私は法蔵菩薩の深い願いをかけられた一人だということです。そのことを、私たちはお経を通して(お経が読誦(どくじゅ)される場に身を置くことを通して)聞かせていただくのではないでしょうか。

法蔵菩薩
『仏説無量寿経』というお経に説かれる物語に描かれる菩薩。仏の教えに出遇ったことに喜び、自らも仏となって生きとし生けるものを救いたいと願い、国王の地位を捨てて仏道を歩み、後に阿弥陀仏となった修行者。

吉元 信暁(のぶあき)氏
九州大谷短期大学学長

仏教語 2026 02

僧侶の法話

言の葉カード

 私たちの住む町は観光地で、自然がほとんどありません。観光に来る人は、きれいな建物や、おいしいご飯のお店を探して、みんなスマートフォンの画面や上の方ばかり見ています。でも、子どもたちは違います。地面のアリの行列、塀の隙間から顔を出したナメクジ。公園の切りかぶにきのこが生えていただけで、もう大さわぎ。大人には見えない、いろんな不思議を見つけてしまうのです。
 きっとお釈迦さまも、生き物が大好きだったのだと思います。お釈迦さまがまだ小さい頃、農耕祭を見学していたときのことです。畑の土から、ミミズのような小さな虫が出たり入ったりしているところを見つけました。「かわいいなぁ」と思って見ていたら、空から小鳥が飛んできて、その虫をくわえて飛び去ってしまったのです。「あっ」と思って空を見上げたそのとき、今度はその小鳥が、大きな鷹に捕まって連れ去られてしまったのでした。その光景を見て、お釈迦さまはとてもショックを受けられたそうです。そして「生き物は互いに、食べ合わなければいけないのか…」と、物思いにふけって、何日も寝込んでしまわれました。
 でもそんな生き物たちに対する慈しみの心が、その後のお釈迦さまの教えにはたくさん散りばめられています。だからお釈迦さまが亡くなった場面を描いた「涅槃図(ねはんず)」という絵には、たくさんの動物たちがあつまって、お釈迦さまの死を悲しんでいる様子が描かれているのです。
 お釈迦さまの教えは「縁起(えんぎ)」や「無常(むじょう)」など、いくつもの難しそうな言葉で表現されます。でも、そういった言葉を通して、私たちに本当に伝えたかったのは「いま・ここに〈生きていること〉の不思議」ということだったのではないでしょうか。
 「なんだ、当たり前じゃないか」と思うかもしれませんね。そう、本当に大切なことというのは、実は私たちが「当たり前」だと思っていることの中にあるのかもしれません。ご飯を食べること、友だちと遊ぶこと、健康に暮らしていること。すべて「当たり前」だと思っている私たちに、お釈迦さまは、「それは掛け替えのない、奇跡のような一瞬一瞬なのだよ」と呼びかけてくださっています。そして、それに気付けることは、どんな勉強よりも大切で、きっと何より嬉(うれ)しいこと。だから、「当たり前」の反対は、「ありがとう(有り難う)」なんです。
 いつかみなさんも、大人になるにつれて、日常が「当たり前」ばかりになってしまう日がくるかもしれません。同じような毎日ばかりが続き、世界が灰色に見えてしまうときがあるかもしれません。でもそんなときには、思い出してほしいのです。「当たり前じゃないよ」と、いつでも呼びかけてくれている声があることを。驚きでいっぱいだった、あの帰り道には、大きなランドセルにも入りきらない、たくさんの不思議で満ちあふれていたことを

花園 一実氏
真宗大谷派 圓照寺住職(東京都)

『マンガで味わうブッダの教え 帰り道で話そうよ』
(東本願寺出版)より
法話 2026 02

著名人の言葉

言の葉カード

 絵本に関しては、誰の価値観でもない、おれ自身の発信というのを大原則にしたいわけだ。だから、おれの本で「仲良くしようね」みたいな結論は絶対ないはずだよ。でも、「児童書」っていうのは、世の中の決まりといった物語を子どもに教えようとする。おれの「絵本」はそうじゃない。どうやら似て非なる作業をしているんだよね。
 だって、「この物語だけは真実だ」なんてことを言うのは不可能に近い。でも、考えてみたら、みんな、誰かが作った物語のなかで生きているという感じはつくづくする。教育というシステムはその最たるものだよね。もっと言うと、国というような組織、何々人だとか、これも誰かが作ったものだ。はっきり言って自分の物語じゃない。色々な物語があって、ある物語から別の物語へと、行ったり来たりするしか生き方がないわけだよ。だから、そういうふうに行き来する力は身に付けたいよね。日本人だとか東京都民だとか、もっと言うとアジア人、もしかして地球人だよね、という物語の箱のなかにいて、いや、そうじゃない、ただの個人だよねっていう、また別の箱もある。
 そのなかを行ったり来たりする力を養う必要がある。これは誰かが作った物語で、出入りは自由だよねっていうような感覚。つまり、嘘の箱がいっぱいあるわけだ。しかも、そういう嘘はぜんぶ脅しになってくる。「ご飯を食べてすぐに寝ると牛になる」とかな(笑)。
 もっと根源的に言ったら、人間って何もわかっていないからね。そういう安心感があるよ。つまり、21世紀の今日まで来て、実は何もわかっていない。何も答えが出ていないよね。だから、探し続けるしかないだろう? そういう格好だよね。おれはニュートンとかダーウィンが大好きだけど、彼らの何が好きかって、何も答えを出していないよね。自分がずっと見てきた現象について「こうじゃないだろうか」って仮説を提示しながら、続く人に課題を贈っている。アインシュタインもそうだよね。後を頼むぜ、よろしくねって感じ。
 三流、四流の学問は、これが結論、答えだと言う。「これからはこういう時代だ」とかね。次の世代に向かって「これだけを信じて生きていけ」なんて誰にも言えない。そんなことはわからない。だから、おもしろい。
 つまり、お前が判断するしかないよな。自己っていうことについて葛藤するしかないんだろうなと思うんだよね。おれも遅まきながらやってますって感じだ。実際はな。答えなんか出ていない世界で、答えが出たような顔をしちゃいけない。
 いつの時代もそうだけどね。その時代のなかで悩み続けるしかない。しかも悩むって暗いことじゃなくて、結構楽しいことだよなっていうのが、おれのスタンスかもしれない。悩んだり楽しんだりしながら、「お前はどう思う?」って絵本を出す。おれにはそのかたち以外、ないんだよ。

五味 太郎氏
絵本作家

月刊『同朋』2025年9月号
(東本願寺出版)より
著名人 2026 02