「生死(しょうじ)」とは、生まれ変わり死に変わりして繰り返し繰り返す、私たちの迷いを表す仏教の用語です。私たちにとって、生まれること、死ぬことは、自分の思いのままにならないことです。生まれようと思って生まれたのではありません。生まれた以上必ず死があります。いつの間にか生まれ、どうしても死なねばならないというのが私たちの現実ですが、それでは自分が生まれたという意味がはっきりしません。生まれたからしかたなく生きて、死にたくないけれどもしかたなく死ぬということでは納得がいきません。
満足がいかない形で「人生を終らせたくない」と願う心こそ、仏教を求める心です。私たちの誰もがこの心を強く持っているのではないでしょうか。
しかし私たちは、この心の満足を求めて、私に仕事や知識や経済的豊かさなど、世間での評価が加われば、満足いくものになるのではないかと考えます。
ただこれは、成績や成果という評価や比較の中で求めるのですから不確実なことです。他人と比べて羨(うらや)んだり、嫉妬したり、時に蹴落としてでもと恨みに駆られることもおきます。そして「人生をこれで終わらせたくない」と出発するのですが「結局思いどおりでなかった」と元に戻ってくるのです。そしてまた、「今度こそ」「心機一転」「今年こそ」と何度も自分に言い聞かせながら、それを繰り返します。その繰り返しを超えた仏様が、私たちの迷いの姿を「生死」と呼ばれるのです。
四衢 亮(よつつじ あきら)氏
真宗大谷派 不遠寺住職(岐阜県)
仏教語 2025 12