15歳のとき、母方の祖父が震災直後の神戸に連れて行ってくれたことが作曲のきっかけになりました。不登校児で将来が見えなくなっていた僕に、何かを伝えたかったのかもしれません。崩壊した神戸の街で大きなショックを受け、帰宅してから急に自作の歌を作るようになり、現在に至ります。
祖父は南方戦線で九死に一生を得た後、小学校の教員になったのですが、当時は差別が今以上に激しく、知的障害を抱えた生徒を、級友や教師までもが「出来損ない」と呼んで、人間扱いしていない状況があったそうです。祖父はそれに抗議して学校の職を辞し、苦労を重ねて知的障害の方を対象とした学校を作りました。そういう反骨精神はどこか親鸞にも通じるでしょう?
20代の初め頃、仏教に関心があって少し勉強しただけなので大したことは言えないのですが、祖父は障害を抱えた子供たちに内在する輝きに気づき、戦後の豊かさを無自覚に享受している人々とはちがう力をもっていると感じていたようです。それは選ばれた人間だけが覚(さと)りを得るのではなく、世の中では力がないと見なされている者こそ仏に近いんじゃないか、という親鸞の考え方に通じるように思います。
親鸞が生きたのは戦乱や飢饉(ききん)が続く苦境の時代なので、選民のみが救われる高度な宗教哲学だけでは間に合わない。学びの機会を与えられず文字が読めない最下層の人々に対して「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)ってこれだけ言えるかい?
大丈夫だよ。ちゃんと浄土に生まれるから」と手を差し伸べたのは、とてもラディカルですよね。心身共にぼろぼろだった20代の自分にはすごく響きました。南無阿弥陀仏の6文字って、いわば世界で一番短い歌、ポップスだな、と。
僕の曲には実在のモデル、明確に歌いかける対象がいる場合がほとんど。思い浮かべる顔がないと、本当の意味で心を込めて歌えないです。
机上の観念を弄(ろう)して政治的スローガンを歌いたいわけじゃない。むしろ政治的な差配から取りこぼされ、一人きりで苦しんでいる方々を想像しながら音楽をつくりたいです。まだ小説にも映画にもなっていない、軽視され、表現の俎上(そじょう)にもあげられない人々を主人公にして、歌のなかでは不公平な現実を逆転させたい。何もかも満ち足りた人々の享楽のためだけに音楽などの文化があるのではなく、何もかもが欠乏し、不毛とされる場所にこそ、新たな文化の芽があると思います。
七尾 旅人氏
シンガーソングライター
月刊『同朋』2024年2月号(東本願寺出版)より
著名人 2024 07