この言葉は「自分を深く信じる」という意味です。普通は、自信をもつこと、辞書によれば「自分で自分の能力や価値などを信じること」と受け取れるのではないでしょうか。しかし、親鸞の場合はまったく違います。この言葉は、中国の善導(ぜんどう ※)という仏教に精通した徳の高い僧の言葉に基づいたものです。どのような自分を深く信じるのかというと、「自身は実際に、迷いのなかにあって、はるか昔から今この時もこれからも、常に迷い続けて、そこから離れることがまったくない」と深く信じるのです。
開き直りのように思われるかもしれませんが、そうではなく、自力を尽くし自力に破れたところに自覚される人間の事実です。この時、人々を救おうとする阿弥陀(あみだ)さまの本願も同時に深く信じることとなります。
このように親鸞が「自分を信じる」と言う場合、それは、自身は迷い続ける存在であるという痛みのなかでの自覚なのです。
- 善導(613~681)
- 中国の僧。親鸞の思想に影響を与えた七人の高僧のうちの一人。
『愚禿鈔(ぐとくしょう)』(親鸞)
『人生を照らす 親鸞の言葉』(リベラル社)より
教え 2024 01
「人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり」
織田信長の時代劇では必ず出てくる、信長が好んだと言われる「幸若舞」の「敦盛」の一節です。この元は、『倶舎論(くしゃろん)』という古い仏教の文献にあるようです。インドの経典から「人間」と翻訳された言葉は、「マヌシャ・ローカー」。それは決して先の幸若舞のような儚(はかな)い存在という意味ではありません。「マヌシャ」は「考えるもの」という意味で、「ローカー」は「世界」という意味です。
私たちは、独り生まれて、独り死んでいくのですが、独りで降ってわいてきて、独り悄然(しょうぜん)と消えていくわけではありません。私たちの体は細胞が集まってできています。その細胞の数は60兆とも言われます。その数は一生かかっても数えきれません。その細胞という生命が誕生したのは38億年くらい前なのだそうです。さらにそれから10億年が過ぎたころにたくさんの細胞をもった生命が誕生しました。そしてその後の長い進化の歴史をたどり私にまでつながっています。その私は現在、自然環境を含め、着ることも食べることも住むことも、すべて広い世界的なつながりの上に成り立っています。
まさに深い歴史と広い関係、世界の集約が私となっているのでしょう。それは何も人間だけではなく、花などの植物も犬などの動物もみなそうです。しかし、私が、世界を背景にした存在だと知り、世界を生きていると考えられるのは人間だけです。そして考えることから、世界にはたらきかけ、世界を変えるような力も持つようになったのが人間です。
ただ残念なことに、世界は私の物だと考えたり、自分の思いや要求を実現するために世界を変えようと考えることも起こります。そのため力ずくの争いを起こし、環境を破壊することにもなりました。
それで、その「世界を考える人間」を問い、私自身は何者かと考えさせる仏教が人間に与えられているのです。
四衢 亮(よつつじ あきら)氏
真宗大谷派 不遠寺住職(岐阜県)
仏教語 2024 01
お釈迦さまは「行け」と言う人です。「私のところに来い」とはおっしゃらない。七高僧もみんなそうです。「わしが助けてやるから、わしのところに来い」なんて言った人はひとりもいません。だいたい「わしのところに来い」というのは怪しいのです。「わしのところに来い、金持って来い」と言われたら行かないほうがいいです。そうではなくて、ひとりひとりを独立者として生み出す。これがほんとうの宗教だと思います。子分をつくったり、部下やら手下をたくわえていこうというのは、結局そのトップの人が甘い汁を吸うための教団です。
親鸞聖人はそんなものはひとつも残しておられない。家屋敷を残してくださったわけじゃない。財産を残してくださったわけでもない。「阿弥陀(あみだ)に出遇(あ)え」という教えにみずからも出遇われ、そしてそれを私たちに伝えてくださったということです。
その意味で親鸞聖人が法然上人(ほうねんしょうにん ※)を仰いだのと同じように、私たちは「親鸞聖人のおかげで真宗を知ることができました。ほんとうに大切なことを教えていただきました」と言えるかどうか。これがなければ親鸞聖人を宗祖とお呼びするわけにはいかないと思うのです。親鸞聖人は法然上人を「真宗興隆(こうりゅう)の大祖(たいそ)源空法師(げんくうほっし)」と言われています。「真宗興隆の大祖」、この宗と祖を取り出していただければ「宗祖(しゅうそ)」です。親鸞聖人は法然上人を宗祖と仰いで生きられたかたであります。それは私に真宗を教えてくださったということがあるからなのです。
私たちもまた、「親鸞聖人のおかげで真宗を知ることができました」ということがなければ、宗祖とお呼びできないのです。ご本山がお決めになったという話じゃないのです。私が親鸞聖人をどういただいていくかという、ここに深く関わるのです。
- 法然(1133~1212)
- 浄土宗を開いた日本の僧。法然房源空(ほうねんぼうげんくう)が正式な僧名。
一楽 真氏
大谷大学学長
『よろこびて ほめたてまつる 慶讃法要をお迎えするにあたって』
(大阪教区慶讃法要準備委員会)より
仏教語 2024 01
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ずいぶん前ながら、こんなことがありました。僕の娘、小学4年生との話です。
「Aちゃんっていう友達が、知らないオジサンについていってん」
「えっ、知らないオジサンについてったの? それはタイヘンなことやんか!」
「公園でお婆さんが倒れてたらしい。それでAちゃん一人では助けられないから、通りかかった男の人にお願いしてん」
「ほんで?」
「そのお婆さんは大丈夫で、二人で家まで連れていった。そのあと、オジサンが、〈じつは、この番地の住所の家をさがしてるんだけど、どこか分かる?〉って訊いたらしい。〈それなら近くのはずだよ〉と言って、一緒に探してあげたんやって。それでその家はすぐ見つかった。だから何事もなかったんやけど」
「なんだ、そんなことかあ。それなら、よかったやん。〈ついて行った〉っていうわけでもないやん」
―ここからが本題です。
「え、なに言うてんの、大問題やん。絶対ついていったらアカンやん?」
「そう? 僕なら同じことするかも。知らない土地で〈お嬢ちゃん、駅にいくのはどっちか教えてくれる?〉とか、公園でヒマつぶしに〈おにいちゃん、カッコいいオモチャ持ってるねえ〉とか」
「えっ! それは絶対にアカン。完全にアウトや。それはフシンシャや」
驚いてしばらく考え込んでしまいました。「そんな馬鹿な話があるか、僕は不審者じゃないぞ、子どもは世の宝だ、近所の子どもと挨拶したっていいじゃないか」と。
でもそれは許されないことです。
自分が「男性」「おじさん」という抑圧者のグループに属しており、僕ではない他のオジサンが子どもにいたずらをするような事件が実際に起きているので、知らない人と口をきいてはいけないと世の子ども達は教えられているのであり、それを大人は常識として知っておかねばならず、したがって僕は子どもにみだりに話しかけることはできないのです。
きっと、差別を無くすとはこのようなことではないかと思うのです。
人は、優位性をもつ側に属していることを認識できません。男と女とか、先輩と後輩とか、上司と部下とか、医者と患者とか、お金持ちとそうでない人とか、教師と生徒とか、大家さんと借主とか、大企業と消費者とか、行政と市民とか。障害のない人とある人、自分の身体に文句のない人、そうでもない人。
視界をひっくりかえして弱い者の側からの視点にたつことができれば簡単にわかることなのに、思わず、「オレはちがうぞ、オレはいじめてないぞ」と頭にめぐらせてしまう。
本当に「オレはちがう」のか、それが問題です。
強い側にいると、いくら耳にしても目にしても信じることができず、血や涙がそこらじゅうに流れていて、世にあふれているのに、それでも気づくことがありません。
中田 亮氏
ミュージシャン
月刊『同朋』2023年10月号(東本願寺出版)より
著名人 2024 01