聖徳太子は「和をもって貴しとなす」とおっしゃっています。和という漢字の元(龢/わ)は異なる音の笛を紐(ひも)でつないだものです。意見の違う人が集まり、そこに調和を作る、それが和です。全員同じ意見にする必要がない。
能にはシテ、ワキ、そして大小の鼓や太鼓、そして笛がいます。これが全員違う流派なんです。一緒に稽古もしないし、話し合いもほとんどしないんです。演劇の人はみんな議論をしますが、能の場合、二日前に「申し合わせ」といって一度通すことはしますが、だからと言って皆の意見や解釈を合わせることはしない。まさに「和」ですし、「あわいの力」です。
親鸞聖人にも「清風宝樹(しょうふうほうじゅ)をふくときは いつつの音声(おんじょう)いだしつつ 宮商(きゅうしょう)和して自然(じねん)なり」という和讃(※)がありますね。宮と商は音階のことで、ドとレのような不協和音になる音です。ところが親鸞聖人は普通は和さないものを「和して」とおっしゃっている。そして「自然なり」と。面白いですね。
- 和讚
- 親鸞が人々に親しみやすくつくった詩
安田 登氏
能楽師
真宗会館広報誌『サンガ』182号より
著名人 2023 10