人がこの世に生を受けてやがてその人生の意義を問うとき、「人は食べるために生きるのか、生きるために食べるのか」と問い続けてきた長い歴史が私たちの背後にあります。そしてその答えはどこかに用意されているものでもなく、既に明らかになっているものでもありません。たえず、人はそのことを問わずにはおれない。そして自分なりの答えを見つけだしていく。それが生きるということの内容なのだと思います。
ここに掲げるお言葉「真理の一言(いちごん)は 悪業(あくごう)を転じて 善業(ぜんごう)と成す」は、煩悩(ぼんのう)や罪に悩まされる人間の救いについて、それぞれ味を異にする川の水が本願(※)の海に入ると一味海水に転じる、あるいは煩悩の氷が解けて功徳の水となるという本願の不思議な力について述べられたお言葉です。
では煩悩や虚偽にまみれた川の水がどうして一味宝海となるのかについて、親鸞聖人は本願の海は「屍骸(しがい)を宿さず」と記しておられます。つまり本願の海は生命を失った煩悩や虚偽を排し転じる力をもつということでしょう。その本願力にあうことが「悪業を転じて善業と成す」ということであり、私たちには念仏申すという、そこに開かれているのです。
- 本願
- 全ての生きとし生けるものを救いたいと発された阿弥陀仏の願い
『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』(親鸞)
津垣 慶哉氏
真宗大谷派 正應寺住職(福岡県)
『今日のことば(2011年)』(東本願寺出版)より
教え 2023 05