「話、聞いてる?」「うん、ちゃんと聞いてるよ」。このような会話をした経験は多くの方にありそうです。「ちゃんと」「きちんと」聞くこと、つまり正しく聞くことの重要性は誰もが知っています。しかし、私達はきちんと聞いているのではなく、自分の都合のいいように聞いていることがあります。場合によっては「何が」言われているのかではなく、「誰が」言っているのかで真偽の判断をすることもあるでしょう。
仏教ではそのような「聞き方」に警鐘を鳴らします。「今日より法に依(よ)りて人に依らざるべし」という言葉があります。「その人の説く、教えの内容を信じるのであり、その人の人格を信じるのではない」という意味です。私達はその方の説かれている事が真実かどうかを聞くのではなく、「その方が語っているから真実だ」という本末転倒の聞き方をすることが多いのではないでしょうか。しかし、相手が何に根拠を置いて語っているのか、そしてそれは真実かどうかを考えることが、話を聞くということなのだと思います。
仏教もそうです。教えを聞いて終わりにするのではなく、聞いてよく考えること、つまり思うことが仏教の学びなのです。教えを聞くことを「法を聞く」と書いて「聞法(もんぽう)」と言います。そして教えを考えることを「聞いて思う」と書いて「聞思(もんし)」と呼びます。これらの言葉が私達の聞き方の問題点と同時に、聞くべき方向性を教えてくれていると思うのです。
これらをふまえて、もう一度冒頭の会話に戻ってみましょう。
「話、聞いてる?」「うん、自分なりにちゃんと聞いてるし、そのようにあなたが話す背景を考えていて・・・」「もう、いい」。いずれにせよ、ちゃんと聞くのは難しいようです。
『大智度論』(龍樹/りゅうじゅ)
田村 晃徳氏
真宗大谷派 專照寺住職(茨城県)
ラジオ放送「東本願寺の時間」より
教え 2023 02