暮らしの中の仏教語

言の葉カード

 任侠(にんきょう)映画などで、「娑婆(しゃば)のメシは美味いなぁ」などと聞くことがあります。「娑婆」は、もともと古代インド語の「サハー」という発音を「娑婆」と漢字に当てたものです。「サハー」には「忍ぶ」という意味があり、「忍耐する場所」を表します。誕生はおめでたいことですが、それは「死ぬいのち」を頂くことですから、必ずしもめでたいことではありません。忍耐するための意味が明らかにならなければ、苦しみに耐えることはできません。仏教は、人間のいのちの真実に目をつぶらず、苦悩に耐える意味を見いだす道なのです。

 この世に生まれたいと思って生まれたひとは、誰一人としていません。気がつけば人間として生を受けていたのです。男に生まれたいとか、女に生まれたいとか、どの民族に生まれたいとか、どの時代に生まれたいとか、誰を父とし、誰を母とするか。これらのすべては自分が決められないことです。いわば、私たちは、この世へ「誕生した」のではなく、「誕生させられた」というのが本当のことでしょう。そして誕生してみれば、四苦八苦の苦しみに遭(あ)わなければなりません。

 四苦八苦とは、①生、②老、③病、④死、⑤愛別離苦(あいべつりく)、⑥怨憎会苦(おんぞうえく)、⑦求不得苦(ぐふとっく)、⑧五蘊盛苦(ごうんじょうく)です。生老病死(しょうろうびょうし)は分かりやすいですね。愛別離苦は、愛し合っている者同士が別れなければならない苦しみ。怨憎会苦とは、憎しみ合うものと出会わなければならない苦しみ。求不得苦とは、欲しいものが手に入らない苦しみ。五蘊盛苦とは、それら全体をまとめた苦しみです。

 そんな私たちに向かって阿弥陀(あみだ)さんは、「群生を荷負(かふ)してこれを重担(じゅうたん)とす」(『仏説無量寿経』)とおっしゃいます。「群生」とは「群れ生きるもの」、つまり、私のことです。この私を重荷として背負い、片時も忘れることがないと。阿弥陀さんの救いとは、苦しみの原因を除去することではありません。むしろ、苦しむものと一体になり、その苦しみを内側から支えるのです。この世は四苦八苦の娑婆ですから、これを否定することはできません。ただ、私が苦しみを感じるとき、それは阿弥陀さんがあなたを支えて下さっている苦しみであることは間違いありません。

武田 定光氏
真宗大谷派 因速寺住職(東京都)

仏教語 2023 04