仏教の教えについて

言の葉カード

 「他力」は、だれのどんな「力」なのかという問いに宗祖(親鸞)は「他力というは如来の本願力なり」と明確にしてくださっている。それは「他力」の誤用を見越してのことにも思える。
 阿弥陀如来(あみだにょらい)の本願力を「他力」といい、その「他力をたのむ」という。
 「他力に頼む」ところに誤用がある。都合のいいご利益を要求してアテにし、アテがはずれて疑う。
 「たのむ」は「憑(たの)む」だと教えられる。それは依頼ではない。「まかせる」ことだ。信じていなければまかせることなどできない。
 「頼む」は「疑」を、「憑む」は「信」を孕(はら)んでいる。
 自分の足で立っていると思っている私が、立っていられるように支えているすべてのはたらき。自分の意志で手を合わせたと思っている私の、手が合わさるように設えているはたらき。「憑む」というのは、そういう「支え」や「設え」をまかせることだとすれば、それは「疑いようがない」ということだ。
 「他力」とは「疑いようがないこと」をいうのだと思う。

『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』(親鸞)

米澤 典之氏
真宗大谷派 常照寺住職(三重県)
『今日のことば(2011年)』(東本願寺出版)より
教え 2023 04