自分の思い通りになる人は一人もいませんし、自分の意にかなう人もいません。その意味で、たとえ極楽にいても満たされず文句を言うのが人間存在だと仏教は指摘します。どんなに恵まれた場所や人がいても愚痴(ぐち)が出てくるのです。それは私たち人間がどこまでも思い通りにしたいという執着をもっているからなのですが、問題はこの私を問わずに理想の場所を求めても、いつか必ず不足不満を口にしてしまうということなのです。この私を問うことを通して初めてそれぞれの置かれた場所から一歩踏み出せるのです。
私も以前うまくいかないこと、思い通りにならないことをすべて周りや状況のせいにしていました。不満も多く愚痴も多く沢山の方にご迷惑をおかけしていました。しかしご本山やお寺での聴聞の場を通して、先生や先輩友人に遇(あ)い、場合によっては夜通し語り合って、ようやく視線が私に向くようになったのです。清沢満之先生(きよざわまんし ※)は「自己とは何ぞや。是れ人生の根本的問題なり」と述べられていますが、「場」を通して自分を問うことが根本的だと教えられたのです。
- 清沢満之(1863~1903)
- 明治期に活躍した仏教者、哲学者、教育者。真宗大谷派僧侶。
能邨 勇樹氏
真宗大谷派 勝光寺住職(石川県)
月刊『同朋』2017年9月号(東本願寺出版)より
法話 2022 06