世間話で、「うちのダンナがさぁ」などと聞くことがあります。この「ダンナ」は、もともと仏教語です。danaの音写語で、意味は「施主・布施する者」のことです。臓器提供者を意味するドナー(英 donor)の語源とも言われています。世間では「檀家」という言葉を聞きますが、これは「旦那の家」のことで、「布施する側」を意味します。布施を受ける側が聖職者集団になります。「ダンナ」という言葉は、布施する者と布施を受ける者という区別を前提とした言葉なのです。
ところが私達浄土真宗は、「檀家」ではなく「門徒(もんと)」という言葉を使います。これは「仏さまの教えを受ける一門の生徒」という意味です。
一つの門を入れば、そこはみんな平等な生徒です。教えて下さる先生は阿弥陀(あみだ)さまです。私は「この世は〈私一人〉を教育する阿弥陀さんの学校なり」と言っています。実はこの世に誕生したという意味は、阿弥陀さんの学校に入門したことなのです。人間が入ろうと思って入門したものではありません。真宗は「絶対他力」の教えです。人間の思いを超えた受動的出来事が「誕生」なのです。ところが、この「誕生」は死の原因を作ることでもあるのです。
死の条件は「病気・事故・老化」などですが、根本原因は「誕生」です。これが阿弥陀さんから私達に突き付けられた教材です。さて、この教材を通して、どんな教育を受けることができるのでしょうか。それを阿弥陀さんは、私と一心同体となって、ご覧になっておられるのだと思います。
武田 定光氏
真宗大谷派 因速寺住職(東京都)
仏教語 2022 07