暮らしの中の仏教語

言の葉カード

 現代語の「無縁」は「縁のないこと、関係がないこと」などと、否定的なニュアンスにも使われますが、親鸞は、「無縁、これ大悲(だいひ)なり」と語ります。人間の起こす「慈悲」は「有縁」で条件付きですが、阿弥陀(あみだ)さんの悲愛は、「無縁」、つまり無条件の愛だというのです。人間が家族を愛するのは、「自分の家族」だからであって、「自分の」という条件がなければ、愛情は起こりません。ところが仏さんの愛は「無縁」、つまり「無条件」ですから、「誰でも」を対象としています。「無縁の大悲」は苦悩する私と、無条件に一心同体になり、私を支えてくださる悲愛なのです。

 人間が愛情を起こすには、必ず「間」が必要です。「親と子」や「恋人同士」にも「間」が生まれます。愛するもの同士が愛するあまり、どれほど一体に成ろうと、きつく抱きしめ合っても、決して一体に成ることはできません。そこには必ず「間」が生まれてしまいます。
 ところが阿弥陀さんの悲愛には「間」がありません。「無縁」ということは、「間」がないということです。つまり、私と阿弥陀さんとの「間」を取り去って、一心同体となって私を受け止めてくれるのです。それが「無縁の大悲」と言われる所以です。仏さんは、苦しんでいる者を向こうに置いて、それを救おうとするのではありません。それでは仏さんと、私とに「間」が生まれてしまいます。この「間」を取り去って下さるのが仏さんです。それを『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう ※)』には「群生(ぐんじょう)を荷負(かふ)してこれを重坦(じゅうたん)とす」と書かれています。仏さんは、あなたを重荷として背負い、これを片時も忘れることがないという意味です。

 あなたの身体を見て下さい。これはあなたの所有物ではありません。仏さんのものです。この身体が仏さんですから、私と一心同体なのです。悲しみも苦しみも、私の思いと一心同体になりながら、私の苦しみ悲しみを背負って下さるのです。私の苦しみは、実は、阿弥陀さんの悲しみだったのです。これが阿弥陀さんの救済方法です。

『仏説無量寿経』
浄土真宗で大切にされる経典(お経)の一つ。

武田 定光氏
真宗大谷派 因速寺住職(東京都)

仏教語 2022 12