「睡眠(すいみん)」は「眠くなる」という生理的な意味で使われます。仏教語の「睡眠(すいめん)」は生理的な意味もありますが、煩悩(ぼんのう)とも言われます。つまり眠くなれば仏道修行を怠ることにもなるからです。特に浄土真宗は仏法(ぶっぽう)を聴聞する教えですから、「睡眠」が課題になります。
仏教の話を聞いていると徐々に眠気がやってきます。眠るのはよくないと分かっていても、知らず知らずに居眠りをしてしまいます。しかし昔から真宗門徒は、「仏法は毛穴から染み込むもんだ。たとえ眠ってもよい。ひたすら法座へ身を運びなさい」と言われてきました。眠気を悪いこととして排除するのではなく、眠気をも仏法の出来事へと転換するのが〈真宗〉です。
「毛穴から染み込む」と言っても、実際に温泉の成分が染み込むように、毛穴から仏法が浸透するという意味ではないでしょう。これは譬喩(ひゆ)です。どういう譬喩かと言えば、仏法は意識よりも深いところで感じ取るものだということです。いわば意識よりも無意識に近いところに響いてくるものが仏法なのです。
ですから、表層の意識では仏法が分からなくても当然なのです。むしろ仏法が分かったということのほうが危ないのです。たとえ居眠りをしてもよいのです。逆に言えば、居眠りという現象ひとつも自分でコントロールできないものであり、居眠りを引き起こしてくるものこそ仏法のはたらきだと教えるのです。つまり、居眠りという現象も、「他力」が表れるための具体的な教えだったのです。
武田 定光氏
真宗大谷派 因速寺住職(東京都)
仏教語 2021 11