僧侶の法話

言の葉カード

 春彼岸の季節になると、決まって先生との出遇(あ)いを思い出します。何年経っても忘れることができません。「君は、周りに人がいても楽しくないのだろう。一人でも生きていることが楽しくも嬉しくもないのだろう。それは親鸞聖人の仏教でなければ絶対に治らない病気だ」。私の闇を照らし出す言葉でした。
 当時私は、誰にも迷惑をかけずに存在そのものが泡のように消えてなくなればいいと思っていました。しかもそれを他人にも自分自身にも隠してそしらぬ顔をしていたのです。そのため一体自分がどうなりたいのかも定まらず、自分自身に対しても斜に構えていました。そんな私を真っ直ぐに見つめて、延塚知道(のぶつかともみち ※)先生は声を掛けてくださいました。「あなたが、あなた自身から目を背けようとしても、私には、あなたのことが見えています」と言われたように感じ、全く意味がわかりませんでした。自分に起こった感情が何かもわからず、その場を動けませんでした。
 後にそれが仏教との出遇いであることを先生は、松原祐善(まつばらゆうぜん ※)先生との出遇いをとおして教えてくださいました。先生ご自身は松原先生から「善いところも悪いところも丸ごとあんた自身じゃないかね。どうして丸ごとの自分を愛せない者が、周りの人を愛することができますか」と声を掛けられたことが決定的だったと語ります。先生は、ご自身の話をしていただけなのですが、私には「消えてなくなればいいと、自分で自分を傷つけてはいけない。いのち自身の本当の欲求は、丸ごとの自分を愛し、周りの人を愛する人(仏)に成っていくことである」と圧倒的な迫力で言葉がせまってきました。

 私には聞くことのできない、いのち自身の声をはっきり語る先生のことを「この人は、私よりも私のことを知っている」と思いました。生きることの瑞々しさを失わせていたのは、誰のせいでもなく自分が自分自身に対して冷たく接していたからです。しかしいのち自身は、自分が自分自身になれない悲しさをずっと受け止めていました。そして本当に求めていることは、いのちの法則にあずかる者に成っていくことであると叫んでいたのです。私の中に、仏に成りたいという心があるとは思ってもみなかったのですが、ようやく私の本心に気がついたのです。

延塚知道(1948〜)
大谷大学名誉教授
松原祐善(1906〜1991)
大谷大学教授、同学長を歴任

寺林 彰則氏
大谷専修学院 元指導補

小冊子『お彼岸(2018年春)』(東本願寺出版)より
法話 2021 03