著名人の言葉

言の葉カード

 昨今、SNSの中やネット上、あるいはテレビからも、何かが起こった時には必ずといっていいほど「自己責任」という言葉が出ます。例えば、自死や過労死の問題でも、「それって自己責任だから」という言葉が安易に使われがちだと思うんです。
 ジャーナリストという私たちの仕事に関しては、自己責任である面はとても大きいと思っています。自分の責任において情報収集をして、自分の責任においてどこに行くのかということを判断しますから。ただ、今の社会で使われている「自己責任」という言葉って、往々にして自業自得とほとんど同義で使われているように感じます。
 苦しんでいるさなか、試練のさなか、ここを高みにして目指していたけれど、結果が違ったというときもあるかもしれない。でも、自己責任という言葉でくくって、「はい、そこで切り捨て」というふうになりがちではないかと思っています。そうではなく自分が身をまかせて寄りかかれる、何かオルタナティブな在り方というのはつくれないだろうかということは常々考えています。
 これは私自身の身近な取り組みですが、引っ越しを考えている同世代の友達から「都内で引っ越そうと思っているんだけど」と相談を受けたら、徹底的に声をかけて全員近所にしちゃうということを心掛けているんです。どういうことかというと、これだけすぐに電話やネットがつながったとしても、やっぱり人間って人間を求めるような気がしていて。誰かが「死にたい」などと言ったときに、「ごめん。終電がない」と言うのか、「あ、じゃあ今から行くね」と言うのか。行くことができる距離にいるかどうかは、ある意味で決定的な違いだと思っています。緊急的でなかったとしても、“社会における生きづらさ”の問題を考えるうえでは、つながっている話だと思っています。
 なので、とても身近な例ではありますが、そうやって「あなたと私」の距離感を物理的に作るということが、身近でできる一つの実践なんじゃないかなというふうに私は思いながら取り組んできました。

安田 菜津紀氏
NPO法人Dialogue for People副代表/フォトジャーナリスト

第14回「親鸞フォーラム」より
著名人 2020 02