暮らしの中の仏教語

言の葉カード

 「意地」という言葉で連想されるのが、「意地悪・意地汚い・意地っ張り」など、あまりよい言葉ではないように思います。しかし「意地」はもともと仏教語で、それは人間の「こころ」の在り処を教える言葉ですから、悪いものでも善いものでもありません。人間には欠かすことのできない「意識」のことです。ただ仏法は、「意識」が世界をあるがままに映してはいないことを教えます。言わば、すべてを人間の価値観で染め上げて見ているのです。
 人間は、桜の花を「桜」だと決めつけて見ています。しかし本当は、桜には名前はありません。自分を「桜」だと名乗った木はありませんから。人間が、あの木に「桜」というレッテルを貼って、分かったことにしているだけです。なんとも傲慢(ごうまん)な態度ではありませんか。
 人間の見方を押し当てて、全世界を理解し、それが正しい見方であり、それがすべてだと思い込んでいるのです。

武田 定光氏
真宗大谷派 因速寺住職(東京都)

仏教語 2020 08