「お彼岸」の「彼」は「他の」、「向こう側の」、「彼(か)の」を意味します。したがって彼岸とは、私たちの迷いの世界を超えた向こう側、絶対的に他なる、彼(か)の仏さまの世界を表現する言葉なのです。
仏教では、彼岸と此岸(しがん)を隔てる「川」は私たちを縛っている無明、煩悩(ぼんのう)にたとえられます。無明・煩悩という川が自覚されない限り、彼岸も此岸もあるのかないのか区別もたたず曖昧なままです。
一方、無明・煩悩に目覚めますと、仏さまの世界(彼岸)と私たちの迷いの世界(此岸)とが明瞭に区別され、その意義が知らされてまいります。つまり、彼岸の世界が明瞭に知らされることは、同時に私たちの迷い深きこの世、此岸の世界が照らされ、はっきりと知らされてくることでもあります。「照らす世界」と「照らされる世界」です。
そこに、私たちには「一つの世界」のみに生きることから「二つの世界」に生きることが始まります。自分の思いがすべてであった生き方から、その生き方が照らされ問われる世界に生きることが願われてくるのです。生きらるべき世界は平板(へいばん)な一世界ではなく、呼びかけ呼び覚まされる立体的な二世界であります。
「お彼岸」は、み仏(ほとけ)の世界の確かさを仰ぎつつ(彼岸)、わが身の罪業(ざいごう)の深さが知らされていく(此岸)、まことにてらいのない穏やかな温もりを私たちに開いてくださる仏事であります。
大江 憲成氏
九州大谷短期大学名誉学長
『暮らしのなかの仏教語』(東本願寺出版)より
仏教語 2019 09