兼好法師の『徒然草(つれづれぐさ)』は、柔軟でユーモアに富んだ随筆です。しかし、その背後には、非常に厳しい無常観・死生観がひかえています。
彼はまず四季の移り変わりを次のように説明します。春が終わって夏が来るのではない。夏が終わって秋が来るのではない。夏の中には、すでに秋の気というようなものがあって、それがだんだんと広がって、いつの間にか秋になるだ、と。あるいは小春という言葉。——小春というのは、冬のぽかぽかとした日ですが、そういう小春がだんだんと大きくなって、いわば「大春」になった時、ああ春になったな、というふうに季節は移りゆくのだ、と。兼好は、このように季節の移りゆきを観察した後、人間の生き死に、生老病死も同じだと言っています。
つまり、生が終わって死が始まるのではなく、生の中にすでに死が始まっている。「死は前よりしも来たらず、かねて後ろに迫れり」——。いつか死ぬ、この先に死があるというのではなく、死は前もって背中に張り付いているのだ、と。
だからこそ、今ここでの生をそれとして喜び楽しめ、というのである。
竹内 整一氏
鎌倉女子大学教授
第4回 親鸞フォーラム
「人間・死と生を見つめる―今を生ききるために―」より
著名人 2019 06