僧侶の法話

言の葉カード

 お釈迦さまは「行け」と言う人です。「私のところに来い」とはおっしゃらない。七高僧もみんなそうです。「わしが助けてやるから、わしのところに来い」なんて言った人はひとりもいません。だいたい「わしのところに来い」というのは怪しいのです。「わしのところに来い、金持って来い」と言われたら行かないほうがいいです。そうではなくて、ひとりひとりを独立者として生み出す。これがほんとうの宗教だと思います。子分をつくったり、部下やら手下をたくわえていこうというのは、結局そのトップの人が甘い汁を吸うための教団です。
 親鸞聖人はそんなものはひとつも残しておられない。家屋敷を残してくださったわけじゃない。財産を残してくださったわけでもない。「阿弥陀(あみだ)に出遇(あ)え」という教えにみずからも出遇われ、そしてそれを私たちに伝えてくださったということです。
 その意味で親鸞聖人が法然上人(ほうねんしょうにん ※)を仰いだのと同じように、私たちは「親鸞聖人のおかげで真宗を知ることができました。ほんとうに大切なことを教えていただきました」と言えるかどうか。これがなければ親鸞聖人を宗祖とお呼びするわけにはいかないと思うのです。親鸞聖人は法然上人を「真宗興隆(こうりゅう)の大祖(たいそ)源空法師(げんくうほっし)」と言われています。「真宗興隆の大祖」、この宗と祖を取り出していただければ「宗祖(しゅうそ)」です。親鸞聖人は法然上人を宗祖と仰いで生きられたかたであります。それは私に真宗を教えてくださったということがあるからなのです。
 私たちもまた、「親鸞聖人のおかげで真宗を知ることができました」ということがなければ、宗祖とお呼びできないのです。ご本山がお決めになったという話じゃないのです。私が親鸞聖人をどういただいていくかという、ここに深く関わるのです。

法然(1133~1212)
浄土宗を開いた日本の僧。法然房源空(ほうねんぼうげんくう)が正式な僧名。

一楽 真氏
大谷大学学長

『よろこびて ほめたてまつる 慶讃法要をお迎えするにあたって』
(大阪教区慶讃法要準備委員会)より
仏教語 2024 01