現代と向き合う点からひと言申しますと、今日の状況というものは、いつも指摘されますように、科学技術の驚異的な発達で、私たちは本当に豊かで便利で快適な文化生活を享受しております。けれども、その代償のなんと大きいことであることか。自然や環境の破壊にとどまらず、肝心要(かんじんかなめ)の人間そのものの破壊というところまで今日は広がっていると言えましょう。
そして、肥大化した欲望はとどまるところを知りません。欲望を追求し、満足させていくことだけが人間の発展であり、進歩であり、向上であるという考え方、価値観と言ってよろしいでしょう。
そういうところで、すべては物質、モノ化される。モノ化されるということは、すべてが数量化されることです。肝心のいのちまでがモノ化され、数量化されているわけです。今日、生命科学で云々(うんぬん)される「いのち」というものは、モノ化された、数量化されたいのち。ですから、私たちは無意識のうちに、死んだら終わりという虚無的ないのちしか生きていないのではないでしょうか。
そしてそのことが、さらに今日のさまざまな事件と言いますか、凶悪犯罪と申しますか、あらゆる悲惨な事実として毎日のように報道されている。それが、今日の実態でございます。
池田 勇諦氏
真宗大谷派 西恩寺前住職(三重県)
『いのちとひかり―真宗のいのち観』
(東本願寺出版)より
法話 2026 08