昨年、地域で行われる健康診断を受けました。少しショックだったことは生まれて初めて身長が低くなった、いや、縮んだことです。なるべく高くと思って背筋を伸ばすのですが、その気持ちを見透かすかのように上からぎゅっと押さえられてしまいました。わずか数ミリのことではありますが、その数ミリの身の丈にこだわっていくのです。「身体」は正直に年齢を重ねていくのですが、「思い」が受け入れられないのです。
私は、故郷のお寺に帰ってもう30年近くなりますが、それぞれに厳しいしのぎの中で生活しておられる方々との交わりの中で、うなずかされることがあります。それは、教えが至り届くということは「頭で」わかる、わからない、ということよりも、「身に」、間に合うか合わぬか、ということであります。
言葉にしても、身に響いていくということがある。言葉には体温というものがあって、体温をもつ言葉は必ず相手に響いていくのだとお聞きしたことがあります。温もりをもつ言葉には命の息吹きがあって、いつしか頑なになってしまった心に、時を越え、ところを越えて届いていく。「念仏を申せ」との親鸞聖人のお言葉は、今もなお、人生の歩みに立ちすくむ現代人に方向をあたえて下さる。生きとし生きる全ての人々の心の底を通じ、耳の底にとどまっていく。闇を抱きながら歩む方の、胸の奥深いところにある願いをよびさまし、その方を揺り動かしていくのです。
親鸞聖人のご命日の法要である報恩講(ほうおんこう ※)が、あるお寺でつとめられたおり、仏教のお話をしに伺いました。そのとき私の部屋を訪ね、ご自身の胸に手を当てられ「ここを揺さぶって頂きませんとね」と言われた方の言葉が忘れられません。
風にふれれば草が動くように、仏法(ぶっぽう)にふれれば人は動くのであります。「耳に心地よい言葉」を聞く者から、「真実の言葉」を聞く者へと方向が変わるのであります。
「私は私に生まれさせて頂いて本当によかった」と、腹の底からいえるような人生を歩もうと、現代に生きる私たちは、親鸞聖人の教えのもとに、歩み始めるのであります。
- 報恩講
- 浄土真宗で大切にしている仏教行事。親鸞の祥月命日にあたる法要。
安本 浩樹氏
真宗大谷派 專光寺住職(広島県)
ラジオ放送「東本願寺の時間」より
法話 2023 02