仏教の教えについて

言の葉カード

 「相依(そうえ)」という仏教の言葉があります。あらゆる事物はそれ単独で成り立ち、存在しているのではなく、他と「相(あい)」互いに「依(よ)」り合う、という関係性において成り立っている、という意味です。身近なところで言えば、私という存在は私一人で成り立っているのではなく、必ず誰かの存在があって私でありえ、私もまた誰かの存在を成り立たせている存在である、ということです
 私たちは、物事が自分の思いどおりに進んでいるときは、「私は誰にも助けてもらわず、自分一人の力でここまでやってきた」と考えています。しかし、気づいていないだけで、その順調な私を支えている人たちが必ずいるのです。また、「あんた、若いうち、元気なうちが花やぞ。年とったらなんにもいいことない。なんの役にも立たんし、いてもいなくても一緒や」と言われる年配の方がよくいらっしゃいます。それは切実な思いからの言葉でしょう。しかし、思いどおりにならず、誰にも代わることのできない身を、思いどおりにならないままに引き受けて生きる。その姿がまた誰かの存在を支えることがあるのです。
 『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう ※)』の次の経文が思い起こされます。
その国土に七宝のもろもろの樹、世界に周満せり。(中略)あるいは二宝・三宝、乃至(ないし)、七宝、転(うた)た共に合成(ごうじょう)せるあり。(中略)あるいは宝樹(ほうじゅ)あり、紫金(しこん)を本(もと)とし、白銀(びゃくごん)を茎(くき)とし、瑠璃(るり)を枝とし、水精(すいしょう)を条(こえだ)とし、珊瑚(さんご)を葉とし、碼碯(めのう)を華(はな)とし、硨磲(しゃこ)を実とす。(中略)このもろもろの宝樹、行行(ぎょうぎょう)相値(あいあ)い、茎茎(きょうきょう)相望(あいのぞ)み、枝枝(しし)相準(あいしたが)い、葉葉(ようよう)相(あい)向かい、華華(けけ)相順(あいしたが)い、実実(じつじつ)相当(あいあた)れり。栄色光耀(ようしきこうよう)、勝(あ)げて視るべからず。  浄土には七つの宝でできた樹々があり、その中には七つの宝がそれぞれ幹や華、実として組み合わさって一本の樹となっているものもある。その樹々どうしが相向かって、呼応し関係しあいながら、それぞれに輝きあっている、と説かれています。ここに、「相依存在」としての私たちが表現されているのではないでしょうか。

『仏説無量寿経』
浄土真宗で大切にされる経典(お経)の一つ。

『ブッダの教え』

三木 朋哉氏
真宗大谷派 淨福寺住職(岐阜県)
「同朋新聞」2020年11月号(東本願寺出版)より
教え 2022 12