暮らしの中の仏教語

言の葉カード

 「通達」という言葉は、「お知らせ」「ご連絡」とは違って、上からの無機質な告知という感じがして、すこし恐ろし気な響きがあります。調べてみると、行政機関において職務の行使の指揮や命令を伝える時の言葉で、辞書などによると「通牒(つうちょう)」と同義となるようです。そうすると「最後通牒」など友好関係を打ち切り実力行使を知らせる国際法上の表現にも使われ、かなり厳(いか)めしい言葉に感じます。
 意味としては、「とどこおりなく通ずること」「隅々までゆきわたること」「告げ知らせる」ということですが、仏教では「道理を明らかに悟り知ること」「深くその道に達すること」ということで、「熟達」していることを表します。
 お経には、弱い立場の人々を置き去りにして、力づくで他を押さえつけて自分の意を通そうとして争う地獄や、自分の利益だけを追い求める餓鬼(がき)、そのためにおこる惨状を全て他の責任にする畜生という私たち人間のあり方を、問い、問題にする世界を開こうとする姿勢として「通達」とあります。
 また、地獄・餓鬼・畜生という問題をどこまでも照らして明らかに知らせ、人々を目覚めさせたいという仏様の熟達した智慧(ちえ ※)を表す言葉として「通達」が使われます。
 世界中の多くの人々の平和を願い、話し合いでの解決を願う声を無視して、「最後通牒」を出してはぶつかり合う、そのあり様を自らの深い悲しみとする仏様からの「通達」が、私たちに届いていないでしょうか。

智慧
知識や教養を表す知恵とは異なり、自分では気づくことも、見ることもできない自らの姿を知らしめる仏のはたらきを表す。

四衢 亮(よつつじ あきら)氏
真宗大谷派 不遠寺住職(岐阜県)

仏教語 2024 04