2024年卯月(4月)の言葉

仏教の教えについて

言の葉カード

 人間は条件を付けて選びます。選ぶという時には必ず条件がある。身長何センチ以上とか、偏差値いくつ以上とか、年齢制限もそうでしょう。現代社会では、人は本当に選別や排除の恐怖におびえながら生きています。つねに評価され、比較され、競争させられているわけです。そうやって、「君は競争に負けたのだから選ばれなくてもしかたがないでしょう」とする。

 「弥陀(みだ)の本願(※)には、老少善悪(ろうしょうぜんあく)の人を選ばれず」というのは、「こっちはいいけどこっちは駄目」というように、選ばないということではありません。そもそも分けないのです。仏教では「無分別(むふんべつ)」と言います。私たちはいつも、「どっちがいいだろう」と思いながら生きています。損か得か、どちらが有利か。仏教は、そこからの解放です。基本は分けないということなのです。「無量寿(むりょうじゅ)如来」の「無量」ということも、「量ることからの解放」です。量の世界というのは、結局は単位を決めて分ける世界です。分けて分類したところに、名前を付ける。つまりレッテルを貼って決めつけるということです。多いのが良いのか少ないのが良いのか。ものによって方向性が決まっていますから、そこで必ず圧力がかかってきます。売上は伸び続けなければならない。成績は上がり続けなければならない。記録は更新され続けなければならない。必ず一種の方向性があって、そこで必ず比べられる。比べるのは、過去と比べて増えたか減ったか、他者と比べてどっちが優れているかということです。このことが私たちの悩みや苦しみの原因の大きな一つです。しかし、人間が人間を評価できる範囲は、氷山でいえば海面より上の一部のところだけです。そこしか見ることができていないのに、評価比較が行われているのです。

 安心できる「未来」があり、そこに向かって生きていく。仏教では、それを「浄土」ということで表します。浄土を学ぶことは、人生の方向性を学ぶことです。

本願
全ての生きとし生けるものを救いたいと発された阿弥陀仏の願い

『歎異抄(たんにしょう)』(唯円)

真城 義麿氏
真宗大谷派 善照寺住職(愛媛県)
『「生きている」と「生きていく」』(東本願寺真宗会館)より
教え 2024 04

暮らしの中の仏教語

言の葉カード

 「通達」という言葉は、「お知らせ」「ご連絡」とは違って、上からの無機質な告知という感じがして、すこし恐ろし気な響きがあります。調べてみると、行政機関において職務の行使の指揮や命令を伝える時の言葉で、辞書などによると「通牒(つうちょう)」と同義となるようです。そうすると「最後通牒」など友好関係を打ち切り実力行使を知らせる国際法上の表現にも使われ、かなり厳(いか)めしい言葉に感じます。
 意味としては、「とどこおりなく通ずること」「隅々までゆきわたること」「告げ知らせる」ということですが、仏教では「道理を明らかに悟り知ること」「深くその道に達すること」ということで、「熟達」していることを表します。
 お経には、弱い立場の人々を置き去りにして、力づくで他を押さえつけて自分の意を通そうとして争う地獄や、自分の利益だけを追い求める餓鬼(がき)、そのためにおこる惨状を全て他の責任にする畜生という私たち人間のあり方を、問い、問題にする世界を開こうとする姿勢として「通達」とあります。
 また、地獄・餓鬼・畜生という問題をどこまでも照らして明らかに知らせ、人々を目覚めさせたいという仏様の熟達した智慧(ちえ ※)を表す言葉として「通達」が使われます。
 世界中の多くの人々の平和を願い、話し合いでの解決を願う声を無視して、「最後通牒」を出してはぶつかり合う、そのあり様を自らの深い悲しみとする仏様からの「通達」が、私たちに届いていないでしょうか。

智慧
知識や教養を表す知恵とは異なり、自分では気づくことも、見ることもできない自らの姿を知らしめる仏のはたらきを表す。

四衢 亮(よつつじ あきら)氏
真宗大谷派 不遠寺住職(岐阜県)

仏教語 2024 04

僧侶の法話

言の葉カード

 「どんな人生にしたいか」という問いに対して皆さんはどう答えるでしょうか。良い人生、幸せな人生、満足できる人生と多くの人が答えるのではないでしょうか。では、幸せや満足のためには何が必要ですか。家内安全、無病息災、裕福な生活…他にも色々ありそうですが、思い浮かぶものは一言で言うと「自分の思いにかなった生活」というものではないでしょうか。自分の思い通りになれば、幸せ。逆に思い通りならなければ、不幸。そうした思いが私たちにはあるのではないでしょうか。
 しかし厄介なことに、思い通りになっても、はじめは満足かもしれませんが時間が経てば新たな欲が出てきて現状に不満を抱き始めます。あるいは、病気になったらどうしようなど先に対する不安も出てきます。私たちの人生は順風満帆とはいかないからです。いつ何時逆境に立たされるかわかりませんし、いつかは破滅が約束されているのが私たちの人生です。しかし私たちは、その事実をなかなか受け入れることができません。繰り返しになりますが、無病息災、家内安全を願い、自分にとって都合の良いことは大歓迎ですが、都合の悪いことはなるべく避けて通りたいと思っているからです。それは自然な思いではありますが、実はその思いが自分を苦しめる原因だと仏教は教えています。
 例えば、結婚するということ一つとっても不幸になりたくて結婚する人は恐らくいないでしょう。結婚の先に幸せを期待するはずです。しかし、その思いが私を縛るのです。ある先生は「幸せになるために結婚するのではありません。」と言われました。先生はさらに続けて「幸せを求める心は必ず不幸を作る心です。善を求める心は必ず悪を作ります。思い通りにならない結婚生活の中で聞法(もんぽう ※)して、思いを超えて全てが仏様の世界にあることに目覚めて、幸も不幸も、善も悪も、好きも嫌いも、全てを引き受けていける者になって下さい。それでこそ、お二人の人生が120%完結するのだと思います。」と言われました。人生の中で出あう様々なことに対してこれは善い、これは悪いと決めつけてしまう私。それが苦しみの原因なのに、そのことに気づかない私。その私そのものに目を向ける必要があると教える仏教を聞いていきたいと思います。

聞法
仏の教えを聴聞すること

黒田 法潤氏
真宗大谷派 常休寺(岐阜県)

真宗大谷派 大垣別院 テレホン法話(2017年)より
法話 2024 04

著名人の言葉

言の葉カード

 今の社会は、あらゆることに答えが用意されているように思うんですね。宗教も含め、「ああしなさい」、「こうしなさい」といろんな答えが提示され、「これをすれば全てがうまくいきますよ」といった誘い文句もやってくる。その中にはカルトが提示する解決策も混じっているので、「信じちゃいけません」、「警戒しましょう」という声も聞こえてきます。そうなると、もう信じられるのは自分しかない。でも、その自分は空っぽというか、確かなものは何も持っていない。現代人の多くが置かれているのは、そういう状態ではないかと思うんですね。
 そこで大切なのは、簡単には答えが出せないようなことに向き合っていくことです。

 迷いながら大事なものを見つけていく。あるいは自分なりの考えをつかんでいく。そういう道筋があるということを学べるだけでもいいのではないかと思うんですね。

島薗 進氏
宗教学者

月刊『同朋』2023年9月号(東本願寺出版)より
著名人 2024 04