仏教の教えについて

言の葉カード

 釈尊(しゃくそん/お釈迦さま)によって明らかにされた教えが、私たちの内面を見る鏡となる。その鏡でしっかりと自分を見、確かめた人が集い、大事な教えとして身近な人や次の世代に伝わっている。そうした釈尊の教えに感動し、法(教え)に目覚めた人が、国や民族を超え、時代を超えて鎖のようにつながっているのが仏教の歴史である。それは法によって人生の意味を見出した人の歴史であり、それを表現する自分と他人とのつながりや世界との関係に目覚め、喜び、意欲を持って立ち上がっていったのである。
 法は自らを映し出す鏡であり、暗闇を照らす光である。私たちが自分をしっかりと振り返り、謙虚に自らを見つめると、弁解しようのない自分、他人を傷つけながらも無反省な自分が見えてくる。しかし、一人では何もできないこの自分が、人間として生まれ、今日まで現に生きてきていることは、不思議というしかないであろう。何が支えてきたのだろうか、誰が助けてきたのだろうか、私自身が本来願っていたことや実現したかったことは何であったのだろうか。

 釈尊は、自らの人生の完結にあたって、私たちに「自らを灯明(ともしび)とせよ、法を灯明とせよ」と教え示している。「灯明」とは暗闇を破る明かりである。それまでの闇がどれほど深くとも、灯明がともった瞬間から、闇はその力を失う。その灯明(法)がともされるのは自分である。私たちの煩悩(ぼんのう)の闇がどんなに深くとも、自らに灯明がともされ、正しい法が灯明となった時、必ず転換できるのである。法に支えられ、あらゆるものとつながっている自分の事実が見えた時、自分として生きる意欲と喜びが出てくる。他の一切と〈ともに生きる〉安心と元気が与えられる。すなわち、法をよりどころとする生き方に立った時、自らに安心し、自らをよりどころとする生き方が開かれてくるのである。

『ブッダの言葉』

『釈尊 生涯と教え』(東本願寺出版)より
教え 2021 05