暮らしの中の仏教語

言の葉カード

 昨今「道楽」という言葉は、ずいぶん旗色が悪い言葉になっています。「道楽息子」とか「道楽者」という言葉を耳にするとドキッとします。が、もともとは「悟りの楽しさ」を表現した仏教の言葉です。また親鸞聖人は『正信偈(しょうしんげ ※)』で「信楽易行水道楽(しんぎょういぎょうしどうらく)」(易行の水道、楽しきことを信楽せしむ ※)と言われています。
 人生を道に譬(たと)えれば、「道楽」とは「人生を楽しむ」とも読めます。それを私は「生活の味を味わう」と受け止めています。味には、甘い味、辛い味、酸っぱい味、苦い味、渋い味、醍醐味(だいごみ)というのもあります。無限の味わいの世界があります。決してひととおりではありません。目の前の出来事から無限の味を味わいたいものです。
 先日、姑(しゅうとめ)を浄土へ見送られたお嫁さんに会いました。入院中もお嫁さんには冷たく、感謝の言葉もない姑さんだったそうです。辛い看病だったといいます。ところが、亡くなった後で看護婦さんや同室の方のお話を聞いて驚いたといいます。「うちの嫁はいろいろと世話をやいてくれる、いい嫁なんです」とお嫁さんをほめておられたというのです。その言葉を聞いて、お嫁さんは恥ずかしさと済まなさで涙がこぼれたといいます。
 人間には、他者の一面しか見えません。つまり、ひとつの味しか味わっていません。ところが、他者にはさまざまな面があります。目の前の出来事を無限に味わえる舌がほしいものです。味わいとは、甘いだけではありません。辛(つら)いことを辛(から)味にも転ずることができるのです。

『正信偈』
正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)。真宗門徒が朝夕お勤(つと)めする親鸞が書き記した漢文の詩。
易行の水道、
楽しきことを信楽せしむ
「難行の陸路、苦しきことを顕示して」に対する言葉。難行は自力による困難(陸路を歩く)な行。易行は他力による修しやすい(水路を渡る)行。

武田 定光氏
真宗大谷派 因速寺住職(東京都)

月刊『同朋』2001年7月号より
仏教語 2018 08