僧侶の法話

言の葉カード

 梅雨の季節は、傘を手放すことができません。出先で傘を借りることもあるかと思います。あるお寺の掲示板に、「借りた傘 雨が止んだら 邪魔になる」とありました。自分の傘であれば、邪魔になれば捨てることもできます。しかし、借りた傘であれば、返さないといけませんから、雨が止んだ途端に荷物になって、邪魔になるのです。私たちは、人さまからお借りした傘であっても、自分の役に立たなくなれば邪魔になるというような、そういう根性を持っているのです。
 この言葉にはタイトルがあって、「忘恩(ぼうおん)」とつけられていました。恩を忘れるということです。私たちは普段、忘恩の生活をしているのではないでしょうか。恩を忘れて、あるいは恩を邪魔だと感じている、そういう私たちのあり方が表現されていると思います。
 京都に佛光寺(ぶっこうじ)のご本山がありますが、そこに「八行標語」という書籍にもなった有名な掲示板があります。こんな言葉がありました。「あいにくの雨 めぐみの雨 自我の思いが ひとつの雨を ふたつに分ける」。誰にとっても平等に降る雨を、あいにくの雨にするか恵みの雨にするか。それを決めているのは自我の思い、すなわち自分の都合です。こちら側の都合で一つの雨を二つに分ける、分別しているわけです。自分の思いを中心とする限りは、「忘恩」していくような私たちです。

伊東 恵深氏
真宗大谷派 西弘寺住職(三重県)

「南御堂」新聞2019年7月号
(難波別院発行)より
法話 2020 06