仏教の教えについて

言の葉カード

 「はかなし」というのは、思ったとおりにことは運ばないということです。もっと別のいい方をすれば、この世は自分の思ったとおりにはなりませんということなのです。
 何が思うようにならないかというと「このよの始中終(しちゅうじゅう)」だというのです。その「始」とは何でしょうか。それはこの世に生まれたということです。親を選んで生まれたのでないという、人生の始まり。それでは、死ぬ時はどうかというと、もう死に時だからといったって死に時は選べないのです。死にたい、死にたいといっても死ねないのです。死にたくないといっても寿命が尽きれば死なねばならないのです。だから、「始中終」というけれど、始めも終わりも思うようにはならない。生まれたことも死ぬことも意の如くならないのです。では「中」はどうなのか。
 「中」というのは、人生全部です。これが思うようになるかというと、いかがですか。思ったとおりになりましたか。私はなりませんでした。私も娘が二人おりまして、寺でございますから、娘になんとかよいご養子を迎えて、後をとってもらいたいと思ったのです。しかし二人とも、それぞれ自分で相手を見つけて嫁に行きました。「住職、よくお出しになったねえ」と言われました。お出しにならないけれども、お出になったのだから仕方がない。
 だから、子供を持つと何がわかるかというと、「世の中、あなたの考えているようなものではありませんよ」ということを子供が無言で教えてくれているのかもしれませんね。こちらへ来るのにタクシーに乗ろうか、バスで行こうかと考えているときぐらいだと、自由意志らしきものがはたらいているということが自分で分かるのですが、大事なことになったら、自由意志でものは動いていません。これが「このよの始中終」という事実なのです。まったく人生不如意(ふにょい/意のごとくならず)です。

『御文』(蓮如/れんにょ ※)

蓮如(1415~1499)
室町時代の浄土真宗の僧侶

近田 昭夫氏
真宗大谷派 顯真寺前住職(東京都)
『自分でなければやれない仕事』
(真宗大谷派東京教区発行)より
教え 2020 06