僧侶の法話

言の葉カード

 私のおばさんは六十六歳で亡くなりました。お寺に嫁いだ方で、亡くなる一週間前、連れ合いである住職と一緒に「阿弥陀経(あみだきょう ※)」をお勤(つと)めしていたそうです。お勤めが終わった後、おばさんは住職に聞いたそうです。「お経の言葉に出てくる『恒河沙数諸仏(ごうがしゃ ※しゅしょぶつ)』ってなんや」と。そしたら住職は、「これはガンジス川の砂の数や。そのぐらいの数の仏さんのことや」と答えられたそうです。するとおばさんは、何て言ったかといいますと、「私はこんなにたくさんの仏さんに見守られていたんか。私は本当にたくさんの人に支えられていたんか。ごもったいない」と言われたそうです。そして一週間後に亡くなっていかれました。
 本当に幸せやとおっしゃっていた。また、本当に尊い瞬間を生きているんやともおっしゃっていました。そして「ごもったいない」と。それは自分自身を見捨てていないということであり、受け入れているということでしょう。
 「今のままではだめだ。もっともっと上へ、もっともっと前へ」となってしまうと、今、この場所を生きていない。私たちは、今、ここに存在することがどれだけ尊いことでありがたいことか、ということに気がつかずに、「足りない足りない」と言いながら自分自身を見捨ててしまいます。そこで聞こえてくるのが、「あなたを見捨てない」というお念仏(ねんぶつ)の教えでありましょう。「このような教えに出あえ、たくさんの人と出会えて幸せや」という思い。それが「ごもったいない」という言葉でした。

阿弥陀経
浄土真宗で大切にされる経典(お経)の一つ。
恒河沙
数の単位の一つ。

大窪 康充氏
真宗大谷派 浄土寺住職(石川県)

真宗会館「日曜礼拝」より
法話 2019 02