僧侶の法話

言の葉カード

 坂東性純(ばんどうしょうじゅん)という先生がいらっしゃいました。
 生前、とある研修会を開催するにあたり、私が先生の送迎を行うことになりました。いい機会と思った私は、日頃から疑問に思っていたこと、分からないことを尋ねてみました。しかし、先生は「そういうことが分からないんですね。素晴らしいですね。」とおっしゃるばかりで、車は目的地に到着してしまいました。少し消化不良のまま、研修会に臨んだ私ですが、そのお話のなかで先ほどの私の問いに応えてくださった、と思えるお話をされたのです。
 その時のお話が書籍化されているので、ご紹介いたします。

 “人を躓(つまず)かせるものは、往々にして立ち上がらせるものと同一なのです。ですから「その問いを大切にいたしましょう」というのが、私が最近、自他共にご縁のある方にもお話をし、自分自身にもいつも言い聞かせていることです。自分を悩ませている問題しか自分を立ち上がらせる御縁はない。これを避けて通ったら悩みは続くばかりというように思います。
 ですから「問いを抱えて生きましょう」ということです。「問い」が大事なのです。「問い」こそは大きな宝物なのです。沢山の宝物、豊かな宝物を私に与えて下さる貴重な、あるいは唯一のご縁と言ってよいかと思います。「このことが分からない」という疑問を抱き続けて生きること。これ以外に私どもの突破口はないのではないでしょうか。”

 先生はこうおっしゃったんです。問いが大事だということなんですよね。問いを抱えて生きると。これは宝物だとおっしゃるんです。親鸞聖人の言葉に「しばらく疑問を至(いた)してついに明証(みょうしょう)を出(い)だす」(『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』「別序」・『真宗聖典』p.210)という言葉があります。親鸞聖人もしばらく自分の問いを抱えて、そして答えに出会っていかれました。それは誰にも同じような答えではなくて、自分にとっての問いと答えに自身で出会っていくということでしょうか。それが生きるということだと、こう教えていただいたような気がいたします。

小林 尚樹氏
真宗大谷派 光明寺住職(東京都江東区)

首都圏慶讃法要特設サイト記念法話より
法話 2023 10